2010/08/14(土) 09:47:00 [ブログ遺稿]
“南京事件”の対日毀損が本格化へ
南京事件の記念館で市民ボランティアが始動
南京事件の記念館「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」は9日、13日の新館オープンを前に、ボランティアの発足式を行った。 同館では1ヶ月前からボランティアの募集を行い、8日までに1100名以上の南京市民から応募が寄せられた。発足式に参加したボランティアのうち、最高齢は75歳、最年少は8歳だったという。(CNSPHOTO)中国情報局 (Web) 2007年12月12日付記事より参照のため引用/写真は「南京大虐殺の記念館「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」は9日、13日の新館オープンを前に、ボランティアの発足式を行った」同記事(Web)より参照のため引用
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記録資料として復刻
先年に消失した小稿ながら、本記事(2007年)についても記録資料としてアップさせていただきます。戦後はるかな歳月を経て、朝日新聞がねつ造した“南京大虐殺”の虚構が、現下では、中国共産党の政治カードと化しています。しかし、その“証拠”とする個々委細に検証すれば、日本軍による“30万人虐殺”の実証に足り得るものは存在しません。問うべき点はこの事実にあるととらえ、ブログから問い続けてまいりました。現政権が冬まで続けば、今後は中国への“謝罪”施策に動き出す可能性が否定出来ません。虚構対峙と指弾に向けての、ご参考の1つとしてどこかでお役に立ていただけれる機会があれば幸いです。
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中国共産党による国策
日本国民の1人として、事実(史実)ならば受け入れるべきと考える。だが、事実ではない虚構。日本に対する政治的なプロパガンダは受容でき得ない。この“南京事件”も後者であり、プロパガンダがエスカレートする状況をこのまま看過してよいものか。
先ず、同施設(記念館)の概要について、中国共産党の機関紙「人民網(人民日報)」の提携紙「朝日新聞」(12月12日付)は次の通り報じている。云く、『記念館は第2次大戦終結40周年を記念して85年に開館。新たな資料が約1万点にのぼり、展示スペースが足りなくなったため、05年から工事を始めた。総工費は約3億3000万元(約50億円)。敷地面積は約2ヘクタールから約7ヘクタールと3倍以上、展示面積は約800平方メートルから約9800平方メートルになる。写真3500枚、被害者や日本軍の遺留品など約3000点を展示し、日本軍が6週間にわたって行った虐殺の現場を詳しく再現するという。参観は無料』とある。
概して、この種の「記念館」それ自体は、「入館料」等の直接収入を見込む類ではないとしても、いわゆる「観光コース」の随所に設置することにより、訪中者を対象とした中国共産党の“教育”に役立て、さらには、政治カードとして、日本を“歴史”で責め続ける依処(えしょ)とするためであろう。支那各地におきえる多数の「記念館」の建造。その資金は莫大になるはずだが、それは「何処」から出ているのか。また、混沌とした国内事情があるにも関わらず、この種の宣伝広報や人員配備が整然と行われる背景には、いかなる組織の力によるものなのか。その点を鑑みれば、中国共産党による国策であろうことが判る。
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朝日新聞から生まれた虚構
昭和47年(1972年)の「日中国交回復」に先立つ昭和45年(1970年)に、広岡知男社長(当時)の指示で中共の『文化大革命』礼賛記事を掲載。人民網との提携はこの時期と思われる。また、この時期は、公明訪中団と中国共産党による「共同声明」発行とも符合している。
この文革礼賛記事を皮切りとして、朝日新聞は、翌年(昭和46年)から“南京大虐殺”という虚構宣伝のキャンペーンを開始。同紙の記者である本多勝一(崔泰英)による『中国への旅』を連載し有名になった。“百人斬り”“慰安婦”“大虐殺”等々。中共が繰り出す支離滅裂な捏造話の数々を、一切の検証抜きに報道。日本国民に対する、あらぬ「罪悪感」の流布に成功したのである。
ネットが存在する時代ではなく、当時の日本国民にとって「新聞」「テレビ」は、今にもまして影響力を持つ「メディア」であった。「まさか新聞が嘘を書かないだろう」、その認識もまた支配的だったのである。この時代に、新聞を疑えるほどの視線を成熟させることは不可能であった。その盲点を衝いて、これらの捏造話は、枯野に放った火のごとくに広まったのである。
その後、しばらくの間、朝日新聞の報道が「事実」として放置され、昭和53年(1978年)には、日本の中学校教科書に、捏造話の1つである“南京大虐殺”が記述されるに至った。だが、同年の中共の教科書には“南京大虐殺”の記載はない。もっと指摘すれば、事件があったとされる1937年から42年間にわたって「中共の教科書」には載ってなかったのである。1978年になって、日本の教科書が先に載せた。その背景には、支那による対日プロパガンダの先行があり、それ自体が「戦後」における捏造である証左と指摘できるのである。
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人民網と一心同体の対日工作紙
広岡知男氏(元社長)時代の、昭和40年代後半の時期から現在までの朝日新聞は、中共(中国共産党)の主要機関紙(国営紙)である人民網(人民日報)とは正式な提携関係にある。人民網では「中日飛鴻」と称する日本語欄を朝日新聞が担当。朝日新聞では、国際欄の中で人民網をあつかっている。ただし、それは表向きの分担であって、両紙は本質的に一心同体である。 そう認識すれば、事の次第が判りやすくなる。
朝日新聞が掲載する記事、社説ともに、人民網とほぼ軌を一にする内容を展開し、朝日新聞は中国共産党の「代弁」報道を連発しつつ、反日策動を幇助(ほうじょ)し続けている。すなわち、朝日新聞の読者は、ラベルを張り替えた「人民網」を読まされているに等しい。
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朝日新聞を信頼できますか?
朝日新聞について、みなさまにお尋ねしています。
アンケート(上記から直接投票できます)
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▼ 14日他の小稿:
・“南京大虐殺”の捏造 2010/08/14
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路傍の初秋 (筆者)
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日本は毅然とあれ!
2010/08/14(土) 03:18:32 [ブログ遺稿]
中共プロパガンダの虚構!
“南京大虐殺”捏造の背景を指摘する動画「THE FAKE OF NANKING - 1」
南京で日本軍に同行していた報道関係者の数は120以上あった。しかも、この120の報道機関にはシカゴ・デイリー・ニュース、ニューヨークタイムズ、パラマウント・ニュース、ロイター、APが含まれていた。しかし、このような写真を撮影し、報道した報道機関はひとつもなかったのである。(中略)彼らは日本兵ではない、いったい誰だろうか? 彼らは蒋介石の指揮下にあった国民党の中国兵である。処刑されようとしている2人も同じ中国人であり、彼らは共産党員である。 動画「THE FAKE OF NANKING - 1」(消失)より参照のため抜粋印欧/写真は同動画が「ヤラセ」と指摘する銃殺シーンを参照のため引用
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記録資料として復刻
先年に消失した小稿ながら、本記事(2007年)についても記録資料としてアップさせていただきます。記事がかなり消失していることが判りました。戦後はるかな歳月を経て、朝日新聞がねつ造した“南京大虐殺”の虚構が、現下では、中国共産党の政治カードと化しています。しかし、その“証拠”とする個々委細に検証すれば、日本軍による“30万人虐殺”の実証に足り得るものは存在しません。問うべき点はこの事実にあるととらえ、ブログから問い続けてまいりました。現政権が冬まで続けば、今後は中国への“謝罪”施策に動き出す可能性が否定出来ません。虚構対峙と指弾に向けての、ご参考の1つとしてどこかでお役に立ていただけれる機会があれば幸いです。
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デタラメな写真“資料”
表題に紹介する動画は、短編ながら、「中国」による“南京大虐殺”の虚構を端的に示す資料なので、読者には時間の許される時に閲覧をお願いする。同動画には、生き埋めのカットが一瞬登場するが、これも南京とは別の場所でプロパガンダのために撮影されたフェイクである。アイリス・チャンが自著「レイプ・オブ・ナンキン」に、“南京大虐殺”の証拠写真として採用したこの1枚についても、最初に見た時から違和感があった。よく観察してみると、朱枠で囲った部分がまったく「人間」とは思えない形状をしているからである。
中国人生き埋めの一枚(「レイプ・オブ・ナンキン」より)
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後に、この写真も次のように「切り貼りで合成された」1枚であることが判り、ようやく違和感が解けたのであった。つまり「偽造写真」である。
同写真の合成分析(「資料館」より)
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局地戦の「南京」から逃亡した蒋介石と司令官
同動画の解説を引用する。 (以下、参照のため引用)
中国国民党政府は、1945年(昭和20年)に、この「バトル・オブ・チャイナ」を編集し、宣伝映画「中国之怒吼(どこう)」を製作した。中国政府は、この映画の中の残虐な場面を証拠として示し、南京大虐殺を訴えている。
1937年11月末には、日本軍は当時の中国の首都であった南京に迫っていた。11月11日、中国国民党軍を率いる蒋介石は南京を死守することを決定した。11月22日、ジョン・ラーべ他14人の欧米人らは、南京安全区国際委員会を発足した。南京安全区国際委員会は南京市民のための避難所としての中立地帯を公表した。12月9日、日本軍は人道上の理由から空中から中国兵に投降勧告ビラをばらまき1日の猶予を与えた。
しかし、蒋介石は国民党軍に南京を死守するよう命じており、回答はなかった。しかも、蒋介石は12月7日に中国兵を置き去りにして、すでに幕僚とともに飛行機で南京を脱出していた。
12月10日13:00、日本軍は南京城に立てこもる中国軍に対して総攻撃を開始した。12月10日から12日までの3日間にわたる激しい戦闘が繰り広げられた。(同映画の)南京戦闘の場面では、日本の映像資料を見つけることのできない無数のカットによって構成されている。南京の場面のほとんどを南京とはまったく関係の無いカットや何者かによるヤラセのカットによって占められている。
それゆえ、1938年1月にアメリカで上映されたパラマウント・ニュース「南京陥落」には、このようなカットがまったく無かったのである。当時パラマウントニュース社のアーサー・メンケンは、日本軍に同行取材をしていたのである。12月12日20時、中国軍の司令官であった唐生智(とうせいち)が南京から逃亡した。しかも、唐生智は中国兵たちに玉砕を命令しながらも、彼らを置き去りにした。
12月13日、中国軍の正式な意思表明もないまま南京は陥落した。日本軍が南京城に入場したときには、安全区を除いて、街のほとんどが焼け野原となっていた。中国軍は焦土作戦を採っており、彼らがいつも退却するたびに、すべてを焼く尽くしていた。逃げ遅れた中国兵のほとんどが武器を捨て民間人の服に着替えて安全区に逃げ込んだ。この場面はヤラセのカットとして有名であり、日本への憎悪を植えつけるにはたいへん効果的である。これらの場面がヤラセとしてバレているにもかかわらず、中国は南京大虐殺を世界に訴えるために常に使い続けている。
(以上、引用)
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宣伝映画「中国之怒吼」の元ネタ
「中国之怒吼」の元ネタが「バトル・オブ・チャイナ」だが、表題の写真をもとに、同動画はさらに説明を加えている。云く、『なぜ「バトル・オブ・チャイナ」の監督はなぜこの場面(上記の写真)の右側を切り取ったのか?明らかに、彼らは日本兵ではない、いったい誰だろうか? 彼らは蒋介石の指揮下にあった国民党の中国兵である。処刑されようとしている2人も同じ中国人であり、彼らは共産党員である』と。
さらに、『「バトル・オブ・チャイナ」の監督であるフランク・キャプラは、3度もアカデミー賞を受賞した有名な映画監督である。フランク・キャプラは、このカットが中国兵が同じ中国人を処刑している場面であることを知っていた。だから、彼はこのカットの右側を切り取ってしまった。同時にそれは次のことを意味する。彼が探した限りにおいては、日本軍の非人道性を証明するフィルムはなかったと。南京大虐殺の残酷シーンはヤラセであったのだ。このプロパガンダ映画のために、日本の80万人以上の民間人が、米軍の空襲の犠牲となったのだ』と述べている。
つまり、米映画監督の捏造を、そのまま国民党が「プロパガンダ映画」に流用していたのである。
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米国「戦勝映画」の虚構
1952年(昭和27年)から翌53年にかけて、米国内で、日曜日のゴールデンタイムに26週にわたって放映された「Victory At Sea」と題する番組があった。いわば「第二次世界大戦」の戦勝自賛映画であり、当時としては破格の50万ドルの予算と、ヘンリー・ソロモン・プロダクションとM.クレイ・アダムスの監修によって製作された番組であった。
実は、この番組のために編集された、全26話、総計650分もの「フィルム」の中には、、フランク・キャプラらが“日本軍の非人道性”を意図的に表現するために、表題のシーンを含め、あからさまな捏造編集を通じて盛り込んだとみられるシーンが多数挿入されている。
これらのシーンが、事実とはかけ離れたフィルム用の「場面」であることを精密に検証し、これらの証明をなせば、“南京大虐殺”の虚構をはじめ、その他の対日毀損、謝罪、賠償請求の策動を根本から覆す資料の1つと出来るものと信ずる。
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小稿も記録資料のアップにて失礼します。読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝しています。これからも一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。
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実家の庭にて (筆者)
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日本は毅然とあれ!
2010/07/18(日) 11:48:37 [ブログ遺稿]
侵略と認識すべき韓国の言動
2008年7月24日のながさきニュース
竹島問題で韓国退役軍人が抗議 対馬市民反発で現場騒然
中学社会科の新学習指導要領の解説書に竹島(韓国名・独島)の領有問題が初めて記述されることを受け、韓国の退役軍人ら二十一人が二十三日、対馬市役所前で、日本側に謝罪と撤回を求める抗議行動を展開した。これに反発する一部の市民が駆け付け、現場は一時騒然となった。 「大韓民国傷痍(しょうい)軍警会」の慶尚北道の会員や鄭政浩(チャン・ジョンホ)大邱支部長(63)らが午前十時から二十分間、市役所前の歩道で抗議。「独島は韓国領土 対馬も韓国領土」と主張する横断幕を掲げ、同様の主張を書いたTシャツを着用。韓国国歌を歌い、日本に謝罪と撤回を求める声明書を呼み上げ、シュプレヒコールで拳を突き上げた。 このうち六人が韓国旗を身にまとい、バリカンで頭を丸刈りにした。一部メンバーは指先をかみ切って流れ出た血で韓国旗に「独島は私たちの土地だ」とハングルで記し、抗議の意志を示した。長崎新聞 2008年7月24日付Web記事より参照のため抜粋引用/写真は「対馬市役所前でシュプレヒコールを繰り返す韓国の退役軍人ら」と伝える読売新聞 7月24日付Web記事より参照のため引用
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緊急にて
私儀 拙き身の緊急にてしばし更新が困難な状況にあります。そこで記録資料として以前の埋もれた小稿を報告し、併せてお知らせを併載させていただきます。どうぞ宜しくお願いいたします。
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果てなき「韓国」の病理
韓国から渡航した退役軍人らによる狂気の“抗議”行動については、多くのブログがあつかわれていることと思う。諸氏の英邁な指摘と論考に敬意を表し、小ブログからも短稿を呈する。
表題に引用する記事にも、同集団による病的なパフォーマンスの様子が記されている。云く、「「大韓民国傷痍(しょうい)軍警会」の慶尚北道の会員や鄭政浩(チャン・ジョンホ)大邱支部長(63)らが午前十時から二十分間、市役所前の歩道で抗議」と。また、「「独島は韓国領土 対馬も韓国領土」と主張する横断幕を掲げ、同様の主張を書いたTシャツを着用。韓国国歌を歌い、日本に謝罪と撤回を求める声明書を呼み上げ、シュプレヒコールで拳を突き上げた」とある。
さらに、一連の“抗議”の一環として、云く、「このうち六人が韓国旗を身にまとい、バリカンで頭を丸刈りにした。一部メンバーは指先をかみ切って流れ出た血で韓国旗に「独島は私たちの土地だ」とハングルで記し、抗議の意志を示した」とある。仮そめにも、「抗議」を意を申し述べる。しかも、外国の施設に対してその意を示す、とあれば、相手国への侮辱、毀損に通じる行動は慎む。また、自国の恥となるようなパフォーマンスや暴力、暴言とみなされる言動は慎む。整然粛々と抗議の意を伝える等々、文明国の国民を標榜する者であれば、心得るべき点が数多とあるはずだ。
長崎新聞記事(2008年7月24日)
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対韓外交の根本的「見直し」を
だが、特定国さながらに、韓国の対日“抗議”のケースは異様である。日本国旗を破壊、焼却する。陛下や政治指導者の肖像に毀損、侮辱を加える。みせしめのためか、家畜や小動物を惨殺する。そして、今般の対馬市役所に対する行動に見られるように、頭を丸刈りにする。自らの血を以って“抗議”のメッセージを記す。たとえ、これらを「善意」に解釈したとしても、精神に異常を来した者たちの行動にしか映らない。一般に、「抗議」が1つの意思伝達の方法であることを考えれば、韓国国民は、人間として有するべき「コミュニケーション」の能力が著しく欠落した、いわば、動物的な存在と認識せざるを得ない。
時の政治家諸賢は、上述に集約される韓国の病理を英邁に見抜き、果たして、国家として相手すべき国であるのか、否か。その次元から、対韓外交を根本的に見直す必要があるだろう。
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日本国民が「目覚める」べき時
この一団が襲来した対馬市の人々にとっては、筋違いの“抗議”と謂えよう。記事に云く、「抗議団は対馬市役所敷地内での抗議行動を二十二日、市に申し入れたが、市側は拒否。財部能成市長は「対馬が韓国領土というのはあり得ない。間違った歴史認識は撤回してほしい。竹島問題は国の問題であり、市では対応しようがない。両国間で早期に問題解決され、未来志向の日韓友好交流への進展を期待する」とのコメントを出した」とある。市長の談話が示す通り、先ず、「竹島」を通じた日本に対する主権侵害の解決は、政府が国務を以って当てるべきであり、対馬市市役所に対する“抗議”はお門違いである。
しかし、同時に、なぜ、対馬にこうした集団が来襲するのか。また、来襲を許してしまうのか。その事由と背景をよく見据えて、対馬市自身は、これまでの親韓交流を見直すべき立場にある。対馬が日本の長崎県対馬市でありながら、なぜ、韓国から“領土”と謂われなければならないのか。また、斯様な現状を危機と認識していないのか等々。対馬市に対して問うべき事項は多い。同時に、これらの問いは政府に対する問いでもある。筆者から指摘すれば、竹島に端を発する一連の韓国が総力を挙げる言動、海外宣伝は、日本に対する侵略行為に等しい。侵略には、明らかな武力を伴う軍事侵攻と、社会、精神への巧みな侵蝕による内なる破壊をもとにした精神侵略があることに気づかねばならない。
韓国が、現在展開する侵略は後者であり、前者と同様に「領土の収奪」にその目的があることは謂うまでもない。その橋渡しをしている宗教団体、政党、および親韓政治家諸氏は、侵略に加担しているのである。政府も対馬も、総じて、日本国民が気づくべき眼前の危機がここに存在している。
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秋の国思う勉強会「特亜病理の研究」開催
小ブログでは、これまでに特亜の病理ともとづく国害に関する指摘稿、意見書等についてもみなさまに報告させていただきました。「まとめ」の一環として、「この辺で勉強会を」、とのご要望により、下記の国思う勉強会を開催させていただくことにしました。どうぞ宜しくお願いします。
■ 国思う勉強会「特亜病理の研究」の概要:
戦後に建国した特亜(「中国4000年」の不可解,「起源説」をばらまく韓国など)/特亜をとりまく国々/特亜の毀日教育とプロパガンダ/世界から嫌遠される特亜(トップレベルの犯罪,入国規制を敷く国々の実際など)/議員バッチを着けた対日政治工作員/政党偽装の毀日工作集団/特亜の放送局、新聞と化したメディアの国害/国害に目覚めよ、先祖代々の日本人 他
当日資料(表紙)
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■ 日時: 平成22年10月16日(土)午後1時から3時頃まで(12時30分開場)
■ 場所: 講習施設(神奈川県)招待状に明記
■ 備考: 勉強会の資料は、参加証とともに当日受付にて差し上げます。
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= タイムスケジュール概要 =
12:30 開場、受け付け開始(受付で当日の資料を差し上げます)
13:00 勉強会開始(挨拶)と資料の説明
13:10 勉強会(プレゼンテーション)
13:55 休息(10分間)
14:05 勉強会の続き(プレゼンテーション, 発表, 質疑応答等を含む)
15:00 勉強会終了
15:10 懇親(ご希望の方のみとの個別の簡易的な懇親、ご要望等)
15:30 終了、ならびに御礼挨拶
(以上、要領より)
不法滞在者の巣窟「ヤード」(調査隊)
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お申し込み方法
自由参加型の勉強会です。参加ご希望のみなさまには、お名前とともに、招待状の郵送が可能な宛先(郵便番号を含む)を明記の上、連絡窓口よりお申し込みください。メールアドレスのみでのお申し込みはお受けしておりませんので、あらかじめご了承ください。
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▼ お問い合わせ先: 返信、またはご案内送付が可能な連絡先を添えてお願いします。
・ブログの連絡窓口: 【連絡窓口】
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シンプルな内容重視の勉強会のため、会場には国旗以外の装飾はなく極めて質素です。あらかじめご了承いただければ幸いです。また、「個」による開催のため、当日の受け付け、机や椅子の整備や粗茶のおもてなし等、お手伝いいただけるご参加者がおられれば事前にお知らせいただければ助かります。以上、新たな勉強会のおしらせを併せて報告させていただきます。
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路傍の夏(筆者)
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読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝します。ここに、新たに記事をアップさせていただけたことを有難く思います。一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実の指摘、批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。
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日本は毅然とあれ!
2010/05/24(月) 12:27:00 [ブログ遺稿]
平成20年8月21日の事例
毎日新聞宛質問・意見書
毎日新聞宛質問・意見書
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ぜひ、お身近に「意見書」活用を
一般に、政治、メディア間連の意見書は、専門識者や団体によるもの、とのイメージがあり、高度な内容である必要があるかの認識もあったようです。ゆえに、日常からは遠い事柄であるかに、ブログを始める以前に見聞することが多かった。そうした状況の中で、団体や組織に無縁のごく通常の存在であっても、意思や意見を伝え、あるいは、指摘することが出来る。活用しましょう、との呼びかけを、ささやかな書簡活動を続けながら、出会う人々にお話しさせていただきました。
ブログを始めてからも、意見書を時折報告させていただく事由もこの問いかけに原点があります。先ず、題意と主旨を書く。宛先を明記して本文を書く。日付を記す。差出人としての最低限の連絡先(電話番号など)を記す。こうしたスタイルで報告させていただいて来たことかと思います。瑣末な存在ありながらも、提案がどこかでご参考としていただけたのか、淡々とした意見書活動が広がって来たことを実感し、大変に有り難く存じます。
良識の国思うみなさまのごくお身近に、意見書送付が1つの手立てとして、今後、さらに活かしていただけることを願って止みません。
平成22年5月24日
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平成20年8月21日の事例
毎日新聞宛質問・意見書
先稿に触れた毎日新聞の記事(強制連行に関する記事)につき、毎日新聞殿に質問意見書を送付しました。以下、短稿に報告します。 (以下、内容転記)
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毎日新聞に対する質問・意見書
毎日新聞殿
拝啓 御紙8月17日付の「ことば:朝鮮人強制連行 /兵庫 ◇朝鮮人強制連行」と題する記事に、「日本が植民地支配していた朝鮮半島から戦前・戦中、労働力確保のため多数の朝鮮人が日本に連れて来られた。その数は66万人とも100万人以上ともいわれる。中国人も数万人連行された。多くは炭鉱、鉱山、軍需工場などで働かされ、従軍慰安婦にされた女性もいる。連行には国や軍が関与していたとされ、日本の戦後補償問題の一つになっている」(全文)(添付資料1)とありました。正確さと在るべき事の次第の説明を欠く記事と拝見しました。「朝鮮人強制連行」について、「66万人とも100万人以上ともいわれる」と記されている根拠をお示しいただきたく、ここに質問申し上げます。
例えば、昭和34年(1959年)の外務省発表(当時の朝日新聞7月13日付が掲載)(添付資料2)によれば、こう記されています。 (以下、記事より引用)
在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦争中に強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。これによれば、在日朝鮮人の総数は約六十一万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は二百四十五人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。
一、戦前(昭和十四年)に日本国内に住んでいた朝鮮人は約百万人で、終戦直前(昭和二十年)に二百万人となった。増加した百万人のうち、七十万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの三十万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令による徴用労働者はごく少数である。また、国民徴用令は日本内地では昭和十四年七月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ昭和十九年九月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関-釜山間の運航が止まるまでのわずか七ヶ月間であった。
一、終戦後、昭和二十年八月から翌年三月まで、希望者が政府の配船、個別引き揚げで合計百四十万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和二十一年三月、連合国の指令に基く北朝鮮引揚計画で三百五十人が帰国するなど、終戦時までの在日していた者のうち七十五%が帰還している。戦時中に来日した労務者、軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。現在、登録されている在日朝鮮人は総計六十一万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は二百四十五人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留した者である。
(以上、記事より引用)
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毎日新聞の国籍を尋ねる
(本キャプションは本文に含まず)
先ず、御紙が用いられている「朝鮮人強制連行」の意味について伺います。いわゆる、巷に謂われる「強制連行」とは、本来の意味するところは、拉致、または何らかの強制的な拘束にもとづく「連行」ですが、しかし、御紙の当該記事では、一般的な「徴用」と混同されている論旨が窺えます。御紙が記される「朝鮮人強制連行」とは、拉致、拘束によるものか、または、徴用によるものなのか。いずれであるか、お答えください。
仮に、御紙が記される「朝鮮人強制連行」が、徴用にもとづく渡航者を指すとしても、上記に引用した外務省による調査結果発表(昭和34年)の内容と、御紙の当該記事(添付資料1)が「66万人とも100万人以上ともいわれる」と記される内容とは、著しく異なっています。別途、2006年末の、韓国の『日帝強占下での強制動員被害者の真相究明委員会』の調査報告(2006年末)によれば、「強制徴用者ではなく、元から日本に居住していた朝鮮人がほとんど」とある文言と、上記に引用する外務省の発表とは合致しています。御紙記事との相違について明快にお答えいただきたく、お願いいたします。
また、「日本が植民地支配していた朝鮮半島」と書き始められ、「日本の戦後補償問題の一つになっている」と結ばれている当該記事の論旨は、南北朝鮮、とりわけ、北朝鮮政府、ならびに朝鮮総連の論旨と酷似しています。これらの国々の政府、直下組織の代弁をなされることが、御紙のご方針なのでしょうか。この点についても、同様の感慨を持つ読者は少なくありません。御紙の、紙面コンセプトの国籍はいずこの国に在るのか、ここにお尋ねします。
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日本による「植民地支配」は存在せず
(本キャプションは本文に含まず)
申し述べるまでもなく、日本による「植民地支配」は存在していません。存在したのは「日韓併合」の歴史です。明治43年(1910年)に、大日本帝国と大韓帝国との間で「日韓併合条約」が締結。すなわち、1910年8月22日、「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて日本が大韓帝国を併合し、朝鮮は正式に「日本国朝鮮地方」となりました。日本の「一地方」ゆえに、当時の日本政府は莫大な予算を投入し、農奴と乞食が大多数を占めていた朝鮮の近代化に尽力したのです。たとえば、この「日本国朝鮮地方」に5000校を超える学校をはじめ、必要な各種設備、医療設備、道路他の多数のインフラを構築しました。その近代教育の中でハングルを必修として、文字を用いる文化を提供。人は国家の基本として重視し、医療と衛生環境を飛躍的に向上させ、半島の人々の平均寿命の伸長に貢献したのです。
こうした資金や資材などの「物的支援」に終わらず、「人的支援」「技術支援」も同時に行った時期が「日韓併合」時代でした。この日本の献身的な努力と貢献により、また、戦後にも提供した多大な支援により、朝鮮半島には"奇跡"と呼ばれるほどの発展をもたらされたのです。さらに、後の、昭和40年(1965年)の「日韓間相互の請求権の破棄」の取り決めにおいて、「両締約国(日韓双方)は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とする戦後の「日韓基本条約」を締結しました。以て、日本に補償義務は存在しておりません。
むしろ、日本が併合時代に建設し、空襲も受けずに残った学校、医療設備、道路他のインフラを含む一切の資産を提供し、さらに、復興のために、政府から5億ドル、民間から3億ドル以上を供出しました。あえて、北朝鮮が補償を求めるとすれば、その対象は、法的に戦後対応が終結済みの日本ではなく、「日韓間相互の請求権の破棄」の取り決めを機に包括的な支援を受けた韓国であるべきです。御紙の当該記事が史実から乖離しており、また、北朝鮮、ならびに朝鮮総連の主張と酷似している点がここにあります。その理由について、ここにお伺いします。
新聞とは、真実を記す公器であるべき、と常に思う読者の1人として、以上、御紙8月17日付の「ことば:朝鮮人強制連行 /兵庫 ◇朝鮮人強制連行」と題する記事に関する質問とさせていただきます。
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英文変態記事の全面訂正を
(本キャプションは本文に含まず)
上記に併せて、御紙が積年にわたって累々と発して来られた英文の変質、変態記事について、再度、お尋ねします。同情報の海外での拡散の様子を見聞するにつけ、御紙が記された「記事のチェックが不十分だった」。「記事の一部に不適切な内容があったと考え」(6月25日付・英文毎日編集部)との弁明の次元では到底補足し得るものではなく、また、「極めて不適切な記事を掲載し続けていました」(7月20日付)との弁明で補えるものではないと見受けております。むしろ、その被害は今も広がっています。
商業メディアとして、新聞社の「言論の自由」はその公器としての社会的責任に裏打ちされるべきであり、また、自らその責をまっとうできないメディアには公器たる資格は存在しません。以って、これまでに配信された該当全記事について、個々の「訂正」を海外に配信され、その然るべき責のすべてをまっとうされることをここにあらためて要望いたします。また、これらの責のまっとうがなされてこそ、御紙のお詫び記事が示唆されているところの根本的な改善の一分が示されたことになり、はじめて、御紙の「おわび」が真実である、と良識は認識し得るにいたるのであり、この根本的な改善が不可能であれば、毎日新聞の廃刊は余儀なきことと指摘申し上げ、以上、質問を含めた意見書といたします。謹白
平成20年8月21日
○○○○
藤沢市○○
電 話: ○○/FAX:: ○○
添付: 資料1: 毎日新聞2008年8月17日付記事
資料2: 朝日新聞1959年7月13日付記事 本紙を含み全5枚
(以上、質問・意見書の本文より転記)
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以上、駄文ながら報告します。ご意見を送られる方の、何らかのご参考としていただければ幸いです。小さな国思う活動ながら、みなさまと共有してまいりたく思います。今後とも、アドバイスとご協力の程、宜しくお願いします。他の事項も含め、今週から内外に対する書簡活動を再開しています。すべての面で、多勢に対して無勢ですが、国思う活動を貫きます。どうか、応援をお願いします。
平成20年8月21日
博士の独り言
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Author:博士の独り言
震災のお見舞いを申し上げます
平成23年3月11日、東北、北関東太平洋沖を震源として発生した東日本震災により、甚大な被害に遭われた被災地のみなさまに心よりお見舞いを申し上げます。
震災の犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げ、被災地の早期復興と、被災者のみなさまが一日も早く生活と安寧を取り戻されることを心よりお祈りいたし、国家の恢復を念願いたします。
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みなさまにはお忙しい中、日々新たなご訪問をいただき感謝します。特殊政党とカルトに騙されない、毅然とした日本を築いてまいりましょう。「博士の独り言」は、いかなる組織、団体とも無縁の日本人発行の国思うメルマガ、およびブログです。
ブログ命名の「独り言」の意味には、ごく普通の日本人の独りが、ごく当たり前のことを自らの言で書く、との意味を込めています。この意義をもとに、特定国からパチンコ、カルト、政党、メディアにいたるまで、それらの国害という「国害」を可能な限り網羅、指摘してまいりました。ゆえに、(=イコール)これらの応援を一切受けず、ごく普通の、私と同じような立場のみなさまから応援いただいて来た国思う諸活動に他なりません。
「個」の足場の弱さはありますが、たとえ困難や不当な圧力に遭おうとも、絶えず前へ進み、一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。
事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。国害と指摘すべき事柄に取り組む博士の独り言に応援をお願いいたし、辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。