2009/11/05(木) 07:50:41 [創価「あの事件」も]
創価学会の「建設大喧伝」
バブルみたいな「池田名誉会長」の「建設大喧伝」
興味深い誌面を見つけたので紹介する。博士の独り言/写真は週刊新潮誌面(切り抜き)11月5日付記事(P36)より参照のため引用
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もう1つの集団洗脳の「具」
文字通りの「バブル」と指摘できよう。教団組織が衰亡の途にありながら、会館、研修道場などの施設の建設は増えている、とのことだ。その数は、すでに全国で1000ヶ所におよぶとも云われているが、売却された物件もあるそうで、実数については定かではない。しかし、云く、「建物を造ることは、本当に素晴らしいこと、偉大なことである。本部も全国各地も、新しい会館の建設、整備が進んでいる。建築は大変大事なことだ。全国更に建設を考えております」(誌面)との発言を紹介。続けて、「まるでバブル期の不動産開発業者のようなこの発言。実は、10月24日、都内で行われた創価学会「本部幹部会」での池田大作名誉会長(81)によるスピーチだ」(同)と記している。
こうした教団施設の建設着工や落成の話題は、創価学会がいかにも発展している、かのイメージを信者に植え付け、「財務」と呼ばれる教団の寄付収集を前提とした組織内宣伝の具とするため、との指摘が誌面に見られる。カルト教団らしさを象徴する言動として興味深い。その視点からすれば、本質的には、どこそこから名誉称号や名誉市民を授与された、との“話題”とともに、機関紙(政教新聞)には欠かせないものであろうことは推察に難くない。誌面の結びにも、「スピーチで、池田氏は「今やもう宗教界の王者です!」と意気軒昂だったというけれど、これほどの「建設大喧伝」は、公明党の党勢後退への焦りと、金銭への欲望の現れと受け取れてしまう」とあるが、実態はその指摘の通りであろう。
信者数減少に反比例するかのように教団施設を増やし続ける、とすれば、いずれは施設デフレを露呈するに違いない。現下でも、地域の会館で会合を開く場合に、周辺の地域組織や同じ都道府県内からの信者も結集する。開場を一杯にして見せて、この地域でも創価学会は発展している、との演出をする。いわば、人海戦術を駆使した上でのことだが、満場の写真を機関紙に掲載する。これを見た会員は、ほう、どこそこの地域でもこれだけ沢山の「同志」がいるのか、との印象を抱くという。そうしたカラクリがあることにも熱心な信者は気づかない。その上で、新しい称号を受けた、新しい会館を作る、といった植え付けがなされる。であるとすれば、表題の「建設大喧伝」も、集団洗脳の具と認識して差し支えない。
もう1つ指摘すべきは、この創価学会と建設業界との深い関わりにある。同業界は、かつての“総体革命”がひときわ進んだ分野とも指摘されている。一方で、この創価学会との関係性が深く、また、その一方で、再びニュースの俎上に乗りそうな、どこそこの政党のゼネコン政治家との関係性もまた深い。ということは、創価学会と同政治家との関係性もまた深いのである。この点には目を瞑(つむ)ってか、メディアは触れようとしない。後稿の機会に指摘できればと思う。短稿にて。
平成21年11月5日
博士の独り言
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路傍の花(筆者)
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2009/09/02(水) 19:39:26 [創価「あの事件」も]
2009/07/11(土) 12:58:59 [創価「あの事件」も]
2009/05/13(水) 11:54:29 [創価「あの事件」も]
被害者は、創価学会信者
「聖教新聞配達員宅」に居座った 猟奇犯「10時間の奇矯行動」
聖教新聞配達員の山田喜保子さん(57)宅を襲った、愛知県一家3人殺傷事件。捜査の迷走、被害者親族間に生じた疑心、さらには悲劇を引き起こした猟奇犯が10時間以上現場に居座る奇矯行動を取っていたことまで判明し・・・。幾重もの不気味さが事件を覆っている。週刊新潮記事(切り抜き)5月21日号(P32−33)より参照のため抜粋引用/写真は週刊新潮の同誌面より参照のため引用
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重要な「情報」を省くメディア報道
去る5月2日に発見された、と報じられる愛知県の母子惨殺事件だが、とても日本人の感覚とは思えない惨殺の状況が窺え、いわば、過去の、世田谷一家殺人事件や福岡の一家殺人事件にも共通する点が類推できるため、先稿に触れさせていただいた次第である。その後、行方不明になっていた母親が同家屋の押し入れから発見された。あるいは、当初は金銭目当ての強盗のように報じていながら、家屋内には金銭が盗られずに残っていた。家屋に靴跡がないかに報じられていながらも、土足の形跡がある等々。報道が二転三転し、一体、何が犯人の犯行動機で、また、どうしてこのような無惨な犯罪が起きたのか、一般の眼には想像もつかない状況となっている。
あくまでも、筆者の独断の眼に過ぎないが、こうした「情報」の迷走錯誤の要因に、重要な「キーワード」が削ろう、省こう、とする動きがあるために、その、あらぬプロセスを経て出てきた「情報」が、実にちぐはぐで、わけの判らないものになっているのではないか、とふとそう感じてならない。そして、その「キーワード」が創価学会であり、外国人なのかもしれない、と表題に参照する誌面を観て、その感慨を禁じ得ないのである。あくまでも、一般情報として、メディアは、淡々と、たとえば、被害者が「聖教新聞配達員・山田喜保子さん(57)」と報じても不自然ではなかったはずだ。他の類証として、たとえば、毎日新聞社局次長による隣室女性の下着窃盗事件や、朝日新聞配達員のペンキばらまき事件では、「毎日新聞社局次長」「朝日新聞配達員」と具体名を記していながらも、それが、創価学会や聖教新聞の関係となれば、それらは一切省かれて報道される。おかしな話ではないか。
および、最近では、一部で改善されてきたようだが、在日コリアンの犯罪を本名で報じず、いわゆる「通名」で報じる悪習が未だに横行している。在日コリアンの犯罪であれば、その通りに、警察発表の在りのままに報じるべきところを、わざわざ、「日本名(通名)」に置き換える、あたかも、日本人の犯罪であるかに報じる、とあれば、明らかな情報加工に過ぎない。通名報道はその典型的な事例だが、このように、情報の核心部分が加工されれてしまえば、ニュース報道はまったく別の性質のものに変異してしまう。その陰影が見え隠れする様子が、表題に参照する記事に記される事件に観られるのである。
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宗教に似せた毒薬
先稿で、知る限りの、また、出会った限りの、創価学会信者の実態には、幸せになった事例は無い(要旨)、とこれまでに記して来たが、これが目の当たりにして来た偽らざる実情である。いわゆる、仏教を真似て「成仏(じょうぶつ)」と説き、信ずる者は「惨死、横死はしない」(要旨)、と説いていながらも、筆者が見聞して来た事例には、皮肉にも、仰せの事例がどうしても見当たらないのである。自殺者や家族の惨殺。あるいは、発狂死や事故死など、悲惨な事例は絶えないのである。おそらく、教えそのものが、「宗教」を装っていながらも実は宗教ではない。その本質が破壊的なカルトに過ぎず、無理な洗脳の影響で、身も心も、生活も。教団のために、そのすべてが蝕まれるために、その破綻の末の悲劇とも洞察できる点がある。いわば、カルトは宗教に似せた毒薬であり、社会病理である。その毒薬を服用し続けた挙げ句に、さまざまな陰惨な事件が起きている、と認識すれば、事の次第が判りやすくなる。
表題の被害者について、誌面ではこう記している。「自動車関連工場で働きながら、毎朝、創価学会の機関紙『聖教新聞』の配達をしていた。5、6年前、“いろいろと悩みがあるけれど、友達がいない”“入信したら悩みがなくなった”と言っていた」とある。誰人にも、悩みや孤独を感じる時はあるだろう。そこをハエのように嗅ぎつけて近づいて来るのが、カルトである。不自然なまでに親しく近寄って来る。親身になって話を聞いてくれる。だが、それは、入会に誘うための擬態(ぎたい)であることを見抜く必要がある。中国に出かける政治家に、思わぬ美女が近づいて来る様子と似てはいないか。いずれも、いわゆる、甘い「罠(わな)」に過ぎないのである。日本人元来の、毅然として、凛とした魂を持つ者とは、まったく異質の存在に違いない。
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【筆者記】
カルトと特亜の病巣を一掃できれば、現下の日本が抱えるかなりの問題が解決する。いずれにも共通している弱点は「事実」である。いずれの上層部も、末端や会員に「事実」を知らされることを嫌っているのである。いわば、「真」「偽」を武器とし、「事実」をもとにした、「云ってることと違うじゃないですか」と問いかける啓蒙には、忍耐は要るが、意外なほどに効果がある。そもそも、人間には、真実を求め、「事実」を知りたい、という本能があるからだ。それは、理性の働きとも謂えるのかもしれない。そもそも、洗脳とは、「事実」ではないことを繰り返して受けつける悪行である。これに対して、啓蒙とは「事実」を知らしめることを基本とした、本年的な理性への呼びかけ、問いかけなのである。以上、誌面を参照し、雑感ながら小考を報告する。
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読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝しています。ここに、小稿を新たにアップさせていただけたことを有難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメント、メッセージをいただき感謝します。一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。
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2009/04/29(水) 16:36:25 [創価「あの事件」も]
創価学会信者による殺人・死体遺棄事件
逃げ切れなかった被告
殺害27年後も賠償責任 最高裁 除斥期間適用せず
東京都足立区立小学校で昭和53年、教諭の石川千佳子さん=当時(29)=を殺害して遺体を自宅に26年間隠し、殺人罪の時効成立後に自首した同小の元警備員の男(73)に、遺族が損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は28日、警備員の男側の上告を棄却した。男に約4200万円の賠償を命じた2審東京高裁判決が確定した。産経新聞記事(切り抜き)4月29日朝刊(24面)よい参照のため抜粋引用/写真は同ニュースを伝えるFNNニュース(Web)4月28日付記事より参照のため引用
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タカを括る被告に下された鉄槌
先年の小稿で、この創価学会信者による殺人・死体遺棄事件について、「時効」で逃げ切れる、と開き直ったかのような、犯人のおぞましいメンタリティについて指摘した。最高裁(2審)判決がどう出るか。その動向が注目されていたが、表題では、犯人に対する賠償命令の確定が伝えられている。同判決について、同事件のあらましを含めて、表題に参照する紙面ではこう記している。云く、「判決などによると、男は昭和53年、警備員として務めていた学校で石川さんを殺害、遺体を足立区内の自宅床下に埋めて住み続けた。区画整理で立ち退きを迫られたことから、平成16年に自首。しかし、当時15年だった公訴時効の成立で起訴されなかった」と。区画整理が理由とはいえ、当時の、犯人の自首は、「時効」を見込んでことであった。
また云く、「遺族が提訴したのは殺害から約27年後の平成17年。不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」が適用されるかどうかが争点だったが、同小法廷は「死亡を知り得ない状況をことさら作り出した加害者が賠償義務を免れるのは、著しく正義、公平の理念に反する」と判断、除斥期間を適用しなかった」とある。すなわち、被告は、自らが殺害した女性の遺体を自宅床下に埋めて隠匿し、被害者女性の「死亡を知り得ない状況」を26年間も造り出していた。それゆえ、時効に対して、その歳月を「排除」するには値しない、との判断を下し、「男に約4200万円の賠償を命じた2審東京高裁判決が確定」、との判決が下ったのである。いわば、「時効」を盾に、逃げ通せるものとタカを括っていた被告に、鉄槌が下った判決と認識出来よう。
産経新聞記事(切り抜き)4月29日朝刊(24面)
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「絶対に謝らない」
同被告の、同判決後の心境に触れるかのような、FNN(表題)が興味深い記事を配信している。云く、「男は判決後も、取材に対し「絶対に謝らない」と話している」と。続けて、「28日、FNNの取材に応じた男は「謝れと言われても、謝る気はありません、まったく。冗談じゃないと」、「(事件後どんな気持ちで過ごしてきた?)もう、できるだけ考えないようにしてました。(事件の時は)かっとしちゃったんですよね。このやろうと思っちゃって」と話した」とある。そもそも、同事件は殺人事件に他ならない。その視点から考察すれば、「時効」を見越しての自首(2004年)それ自体にも、当人の呵責の念の乏しさが読み取れる。そして、ここへ来ても、このような心境を語って居直る、とあれば、とても正常な神経ではない。否、異常そのものである。
表題は、「「逃げ得は許さない」という最高裁の判断は、今後の民法上の時効をめぐる論議に影響を与えるとみられる」と記しているが、おりしも、世田谷一家殺人事件の遺族の声をもとにした、殺人事件の「時効」は廃止すべき、との議論もある最中にある。「時効」を盾に、罪の遡及(そきゅう)から逃れるかの、無責任な「逃げ得」は許さない、とした同判決には、今後の「先例」となる重みがあるのではないか。ここに、先稿で紹介した、同被告は創価学会信者であると示す、「新潮45」(2007年3月号)の記事がある。同誌面には、このようなくだりがある。云く、『創価学会の信者である男は、教職員組合に加入している共産党員の先生方から、弁当に睡眠薬や毒物を入れられたり、有毒ガスを撒かれたりする数々の嫌がらせを受けた、と主張している。こうして苦しめられてきた自分だからこそ、石川先生の殺害は仕方がない、と言いたいようなのだ』と。これが、被告の殺害動機とすれば、稚末に過ぎはしないか。妄想の域を出ないものであろう。
新潮45記事(写真)2007年3月号(P248)(傍線は筆者)
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この果てなき妄想の末、他人を殺害した、と。それが事実であれば、かの、オウム真理教信者の妄想にも共通した病理と指摘できよう。被告が信じる創価学会も、オウムと同様の「カルト」とみなすべき要素がここにある。もう1つの共通点は、やはり、他人の命を奪っても「罪」と感じ得ない病理だ。先稿で触れた、「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の犯人・小原保も創価学会の信者であった。すでに命を奪った吉展ちゃんに対しては「罪の意識」のかけらも感じることなく、遺体を遺棄している。それでいながら、受け取った「身代金」を仏壇に供え、大金が手に入ったのは「功徳(ご利益)」だとして、“感謝”の祈りを捧げたという。この異様な行動にに、「時効」で逃げる被告(上記)と共通した心理が窺える。
殺された方が悪い。自分は被害者だ(要旨)と開き直る被告・和田信也にも、自らが犯した「罪」に対する反省は無い。これは、他の創価学会の信者が手を染めた殺人事件にも共通した「姿」として映るのは筆者だけだろうか。そもそも、この人命感覚の消耗、欠落は、オウム真理教の「ポア」の発想にも似ており、カルト宗教に共通したおぞましい病理である。また、上記のように、凶悪犯の正体を、ようやく一部の誌面が遠慮がちに報じる傾向があるが、通名報道の廃止と同様に、凶悪事件であるほどに、心あるメディアがあれば、堂々と、犯人のその正体を明かすことが、不特定大多数の国民への、犯罪防止に資する周知となり得るであろうことは指摘するまでもない。
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■ 主な関連記事:
・創価「殺人事件」か 2 2007/12/09
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【筆者記】
連休中には、創価学会信者が、何年、何十年ぶりかに、投票依頼のために尋ねて来るケースもあるのかもしれない。2人組、3人組でやって来るケースもあるようだ。だが、まったく相手にする必要はない。勝手にやって来る押し売りと同じだ。ドアを開ける必要は無い。ドアを開けさせるために、「トイレを貸してくれ」と云うケースもあるそうだが、そもそもが、応対する必要も無い。まさに、上記に記す逃げ得、身代金収奪を「ご利益」とするかの病理は、この、政教一致の何が悪い、とするかの「病理」の延長線上に在るのである。以上、記事を参照し、雑感ながら小考を報告する。
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読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝しています。ここに新たな記事をアップさせていただけたことを有難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメントに感謝します。一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。
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2007/05/18 00:00 カウンター設置 (数値はPCカウントのみ累算)
Author:博士の独り言
いかなる組織、団体とも無縁の日本人発行のメルマガ、およびブログです。初期のように、氏名とプロフィール、写真を掲載すべきと考えていますが、迫る身の危険回避の意味からも自重すべし、との筆者をよく知る友人らの制止により、現在は「博士の独り言」として活動しています。活動自体も全く無収入です。