2011/06/21(火) 22:53:12 [海外広報]

党ぐるみの延命「猿芝居」

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会期末前夜で政権緊迫=首相、岡田氏への不信強く
 会期末を翌日に控えた21日、菅直人首相と民主党の岡田克也幹事長ら党執行部の綱引きが緊迫した。重要法案成立に向け野党の理解を得ようと、退陣時期の明確化を迫る岡田氏。これに対し、首相は再生可能エネルギー促進法案まで持ち出し、続投に執着。双方が歩み寄る気配は見えず、首相が脱「原発」を掲げて衆院解散に踏み切るとの見方や、会期延長断念の可能性も取り沙汰され始めた。時事通信Web)6月21日付記事より参照のため抜粋引用/写真は時事通信同記事より資料として参照のため抜粋引用
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党ぐるみの延命「猿芝居」

 どこぞの党内で首相に辞任を迫るかの声を呈する。首脳や閣僚の誰それが“首相は辞任すべし”との発言を呈する。しかし、時は生温(なまぬる)く流れ、日が悪戯(いたずら)に経つばかりである。昨日は誰それがこう言った、今日はああ言った、と引きずられるかのメディア報道に辟易としておられる方も少なくないことかと思う。

 だが、聡明な読者にはすでにお気づきのことかと拝察するが、現下の実態は、民主党の党ぐるみの延命「猿芝居」と観て差し支えない。猿なら反省するが、民主党には反省も恥もない。適当に、国民に対するガス抜きをしつつも、しかし、その“握ったものは放さない”メンタリティは周到、且つ執拗な「亜」の賊盗そのものである。

 もしも、解散総選挙に移行すれば、間違いなく党勢は衰退する。そのために、見事なまでに嘘で固めたマニフェストで盗奪した「政権」は手放したくない。どのような嘘をつこうとも、どのように国民を欺こうとも、1日でも長く「政権」に居直り、一国の“政府”のふりをしつつ、既来の無能無策と兼ね併せるかのように、立法府の権能を濫用して悪法量産を謀り、日本という国家の体内に毒を巡らせようとしている、とこう認識すれば、現下の事の次第が判りやすくなる。
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“魔の調毒”

 どこぞの首相が厚生大臣であった、あの時の“輝き”は何だったのか、との声を未だに耳にするが、果たしていかがなものか。筆者に指摘させていただければ、パフォーマンスが当っただけと認識して良い。いわゆる、「天の配剤」とは正逆の“魔の調毒”とも謂える事象で、たとえば、賭博で最初に勝たせる。それで、堅気(かたぎ)の衆が賭博にのめり込むようになっている。その一類のパチンコや薬物でも同様の指摘が出来るのかもしれない。単なる造語だが、こうした事象を筆者は“魔の調毒”と呼ばせていただいている。

 たとえば、毒キノコほど見栄えが良い。それもまた、私を食べて死んでね、と誘うかのように存在しているに等しく、賭博や薬物と同様、最初は“天国”でその後には「地獄」が待っている。瑣末なたとえで恐縮だが、そうした観方も1つかと思う。現下の政情は、まさに、その“天国”を過ぎたその後の、“魔の調毒”も後編に入った時期にあると謂えるのではないか。
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災いを国家の「福」へと転じよう

 「今回は民主党」。「民主党に一度やらせてみればよい」。この毒々しいフレーズをメディアはどれほど垂れ流したことか。同様の発言をなした数多の識者をリストアップしてお見せしたいくらいだ。人や事象を見抜けない。物事の本質を理解し得ない方々である。どこぞのドットCOM氏に言わせれば“クズども”で終わりかもしれないが。フラフラと盲論を並べ立てて国民を惑わすよりは、潔く引退されるなり、断筆されるなりすべきである。

 それはともかく、何としても、良識の総力を以って惨禍の政情を変える。災いを福へと転じるべき時節にいたった。駆除の一票を以って、民主党に「野党じゃだめなんですか」と言ってやろうではないか。総選挙実現への秘策はある。

平成23年6月21日

博士の独り言
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日本は毅然とあれ!

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路傍にて(筆者)
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2011/04/20(水) 06:46:42 [海外広報]


おはようございます

 旭日に若葉映える季節を迎えました。

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路傍の若葉(20日)
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 横浜市内でも、そぞろに路傍の風景が移り変わろうとしています。みなさまのお身近の地域はいかがでしょうか。

 統一地方選(第二部)を迎えられている地域の方も多くおられることかと思います。国思う心晴れる良い時節となりますように。

平成23年4月20日

博士の独り言
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日本は毅然とあれ!

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路傍にて(20日)
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2011/02/23(水) 23:05:30 [海外広報]


震災のお見舞いを申し上げます

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日本人学生23人、安否不明=死者75人、非常事態を宣言−NZ地震
 【クライストチャーチ時事】ニュージーランド南島のクライストチャーチ市を22日襲った地震から一夜明けた23日、被災地では懸命の救助作業が続けられた。建物が倒壊した同市の語学学校で研修中だった富山市立富山外国語専門学校の学生ら日本人23人の安否は依然不明だ。同国のキー首相は同日、国家非常事態を宣言した。時事通信Web)2月23日付記事より参照のため抜粋引用/写真は時事通信同記事を資料として参照のため引用
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震災のお見舞いを申し上げます

 多くの犠牲者、行方不明者の報に胸を痛めております。ニュージーランド南島を襲った震災にお見舞いを申し上げます。日本の高校生を含む行方不明者の早期発見・救出と被災地の復旧を願うばかりです。

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路傍の花(筆者)
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 震災は、いずこの国においても唐突に襲って来ます。一国として重要な一つは、被災地には国民、外国人の誰と誰が存在しているのか。その可及的速やかな掌握にあります。とりわけ、当事国にとっての被災外国人の情報については、その安否の、それぞれの国籍本国への早期通達と救済の要請にあることは謂うまでもありません。その阻害になるのが、そもそも所在がつかめない不法残留や、存在の有無も掌握しかねる不法滞在(密航)です。

 ニュージーランドのケースでもごく当然のことかもしれませんが、同国では外国人に該当する日本人渡航者には不法滞在・残留者が見当たりません。それゆえに、早期に安否の掌握が可能になったものと拝察しています。国家を問わず、国籍を問わず、国際的に粛々と正規の渡航が重要であり、ごく日頃から、当該国の国民と外国人の区別が明確になされているべき筋道がここにあります。

 日本においても、外国人の尊厳と上記のような非常時における根本的な救済のため、国民と外国人の区別がごく当然になされるべきであり、万が一状態で発見された時のためにも身分証の携帯はごく当然の義務であることを再確認すべきです。そのための区別を「差別」とは謂わない。悲報ではあるけれども、今般の震災がその重要性をあらためて示しているものと拝する次第です。真の尊厳のため、必要な区別と“差別”とを混同、倒錯した毀日教育やおかしな政党、あらぬメディアの植え付けの病理を整理して不可欠な「区別」を明確にする。そのごく当然の、義務を淡々と果たせる国へと、私たちの世代で築いてまいりたく思います。

平成23年2月23日

博士の独り言
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■ 主な関連記事:

朝鮮人民主党 2009/06/02 
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日本は毅然とあれ!

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路傍にて(筆者)
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2011/02/21(月) 18:33:55 [海外広報]


激励のメッセージに感謝

 みなさまより励ましをいただくメッセージを頂戴し、誠に有り難く存じます。更新が少なくなったこともあり、現状、低減がみられるアクセス数については、調整期間中のため気にしておりません。長い間に、むしろ、こうした時期は必要で、さまざまな点を改善する機会とでき、その先への有意な糧とできます。

 なお、ついつい忘れていましたが、サブ・ブログ「博士フォーラム」がブログランキングに残っておりました。先々、本来のペースで更新可能とできる段階になれば、こちらも、周知のためのダイジェスト版をかねつつ、更新を再開できればと考えております。

 あくまでも目標ですが、良識による日本防衛を切に願い、先人の桜花咲く頃を本格的な再始動の時期と心に置いています。ささやかながら、国害と指摘すべき諸事項に対し、不変のスタンスで取り組み、問いかけてまいります。応援くださるみなさまに心より感謝します。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

平成23年2月21日

博士の独り言
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日本は毅然とあれ! 

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国守る桜花(昨春)
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「日本盲導犬協会」クリック募金  紹介稿
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↓盲導犬を必要とする方々に! 
と思って下さる方はクリック募金ご協力を   
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2010/12/11(土) 11:47:00 [海外広報]

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フォール卿、墓参の願いを果たす

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工藤俊作氏は私の命の恩人
 工藤俊作海軍中佐(故人)との再会のために、この12月7日に、89歳の高齢を押してサムエル・フォール卿(元英海軍士官)が英国から来日。工藤氏の墓参に訪れた様子が、新潮誌(12月18日号)の写真ページに掲載されているので、小稿に紹介する。博士の独り言/「通訳に教えられつつ焼香する車椅子姿のフォール氏」週刊新潮2008年12月18日号誌面より参照のため引用
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本日、訪問勉強会のため

 瑣末な身ながら、、本日、国思う訪問勉強会のため、夜までの間、ブログに取り組むことが出来ません。報告すべき事柄は数多くありますが、しばしの時間、予約投稿にて、無休更新1600日の中で、思い出深き小稿をいくつか重掲させていただきたく存じます。どうか宜しくお願いします。
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フォール卿が墓参を果たす

 工藤氏に対して、「人生の締めくくりとして、自身が生きているうちにお礼を言いたかった」と。工藤氏の消息を求めてフォール卿が初めて来日したのは、平成15年(2003年)10月であった。しかし、当時は、工藤氏の墓も、また、遺族も所在が分からずに、フォール卿の願いは叶えられなかった。

 このフォール卿の願いを受けて、「敵兵を救助せよ!―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長」の著者・恵隆之介氏が、その3ヶ月後に、遺族を見つけ出した。その一連の様子を本年の1月1日の稿で紹介させていただいた。その折、恵氏から工藤俊作氏の話を初めて聞いた甥の七郎兵衛氏は、「叔父はこんな立派なことをされたのか、生前一切軍務のことは口外しなかった」と落涙されたそうだ。工藤俊作氏は己を語らずに世を去っていたのである。

 この実話は、フォール卿自身がタイムズ紙への投稿(1998年4月)の中でであえて語り、当時、天皇陛下の英国訪問に反対した同国内の一部世論を沈黙させたのであった。

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週刊新潮記事(切り抜き)(平成21年12月18日号誌面より)
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 その工藤氏の墓参のために、この度は、フォール卿が墓籍のある薬林寺(埼玉県川口市)を訪れて本堂で焼香。フォール卿が、工藤氏の墓前に捧げた言葉は「Thank You」であった、と誌面に記されている。

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週刊新潮記事(切り抜き)(12月18日号の同誌面より)
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 高齢、しかも車椅子姿のフォール卿を写真記事を通じて拝見する1人として、あるいは、これが最後の来日となるやもしれぬ、との予感は過ぎる。しかし、いつまでもご健勝であられることを願わずにおられない。以下、ここに、実話を本年1月1日の稿より紹介する。良識が、幾多の先人の功を見直され、日本の心を再考される。稚稿ながら、1つのご参考となれば、と。また、どこかでお役に立つ機会があれば幸甚である。
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死ぬ前にお礼を言いたかった

 英国から、はるばる感謝を述べるために来日したフォール卿(当時・フォール中尉)は、その日の出来事を振り返り、次のように語った。云く、「救助の旗が揚がった時は、夢かと思いました。彼ら(日本兵)は敵である私たちを全力で助けてくれたのです」と。また、「1人、2人を救うことはあっても、全員を捜そうとはしないでしょう。たとえ戦場でもフェアに戦う。困っている人がいれば、それが敵であっても、全力で救う。それが日本の誇り高き武士道であると認識したのです」と。

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サムエル・フォール卿(動画より)
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 このフォール卿の著書(1996年)と来日(2003年)がなければ、この出来事は知られることがなかったのかも知れない。
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敵兵の命を救った艦長命令

 開戦翌年の1942年 (昭和17年2月27日)。ジャワ島北方のスラバヤ沖で、日本艦隊と英米蘭の連合部隊が交戦。連合部隊側は艦船15隻中11隻を撃沈で失い、残る4隻は逃走。撃沈した「エクゼター」(英海軍の巡洋艦)の乗組員多数が救命ボート等による漂流を続けていたが、生存の限界に達した3月2日に、日本海軍の駆逐艦「雷」が海面に浮遊する多数の英国兵を発見。敵潜水艦から魚雷攻撃を受ける危険性がある。その戦場でのことであった。その前には、日本の病院船の救命ボートが攻撃を受け、158名が命を落とす事態も起きていた。まさに、交戦最中の危険な海域での出来事であった。

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「駆逐艦『雷(いかづち)」 (Wikipedia)より参照のため引用
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 だが、「敵兵を救助せよ」。「雷」艦長の工藤俊作少佐のこの命令により、「雷」は「救難活動中」を示す国際信号機を掲げ、英国兵の救助に当たったのである。だが、長時間の漂流で体力を消耗している英国兵を海面から拾い上げる救助作業は難航。そこで、工藤艦長は「一番砲だけ残し、総員敵溺者救助用意」との命令を発し、船内総力を挙げての救助に当たるよう指示したのである。

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漂流していた英国兵 (動画より)
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 ほぼ総員に近い兵員と、はしご、ロープ、竹竿(たけざお)等々。さらには、魚雷搭載用のクレーンまで、使用可能なすべての装備を投入した救助であった。「漂流者を全員救助せよ」。「漂流者は1人も見逃すな」。工藤艦長のさらなる命令により、「雷」は進行しては止り、すべての英国兵を救助したのであった。その数は実に「422名」。まさに「雷」の乗組員に倍する人数であった。さらに、「雷」の兵員はそれを厭(いと)わず、重油で汚れた英国兵士の身体をアルコールと木綿で丁重拭き取り、貴重な水と食料を提供したのであった。

 その翌日、ボルネオ停泊の病院船へ捕虜として引き渡すことになるが、救助した英国兵の中から将校たちを甲板に招き、工藤艦長は次の言葉を発している。「You had fought breavely.(諸官は勇敢に戦われた)」。「Now, you are the guest of the Imperial Japanese Navy(諸官は日本帝国海軍の(名誉ある)ゲストである」。艦長のこの言葉に、英国将校たちは敬礼を以って感謝の意を表したのであった。
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敵兵を救助せよ!
英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長

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単行本: 334ページ
出版社: 草思社 (2006/06)
ISBN-10: 4794214995
ISBN-13: 978-4794214997
発売日: 2006/06
価格: ¥ 1,785 (税込)

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書籍の概要

 一九四二年二月二八日のスラバヤ沖海戦のあと、日本海軍は、自艦を撃沈され海上を漂流する多数の連合国兵士を救助した。文字どおり武士道が発揮された瞬間であり、世界海戦史上でも稀な感動的な出来事なのだが、にもかかわらず、これまで戦史にのることもなく、ほとんど語られることがなかった。それは、工藤艦長が、戦後自衛隊にすすむこともなく、同期の人たちの勧めで就職することもなく、周囲に自らを語ることもなかったという事情もあるが、やはり東京裁判史観の影響があったことは否めまい。

 ところが、平成一五年、スラバヤ沖海戦で「雷」に救助された元英国海軍少尉フォル卿が来日、護衛艦の観閲式にも参列する。このとき、元海上自衛隊士官である著者はフォール卿から依頼を受け、すでに亡くなってはいたが、工藤艦長の消息を尋ねることになる。著者は数か月かけて、工藤艦長の墓地の所在地などを探りあてフォール卿に報告する。この間著者は当時「雷」の乗組員で存命の三名の人たちとも接触、工藤艦長の人となりと救助時の詳細を聞くことができたのである。これが著者が本書を執筆する動機となった。その三名とは、航海長の谷川清澄元少佐、艦長伝令の佐々木確治一等水兵、砲術手の勝又一一等水兵である。この人たちの記憶は鮮明で、これによって救助当日の状況は正確に再現されることになった。また、フォール卿へのインタビューと、工藤艦長への献辞が掲げられている自伝『マイ・ラッキー・ライフ』が証言を補強している。

(書籍紹介より引用) (小ブログで一部補正)
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美徳ゆえに「語らず」

 英国に戻ったフォール氏は、後にフォール卿となり、有能な外交官として活躍。晩節に差しかかった1996年に、自らの人生を一冊の著書にまとめた「マイ・ラッキー・ライフ」。その1ページ目には、謝辞を1人1人の関係者に述べ、そして、この本を、「私を救ってくれた日本帝国海軍の工藤俊作少佐に捧げる」と記している。

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フォール卿の著書 (動画より)
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 来日した理由についてフォール卿は、「自分が死ぬ前に、誇り高き日本人である工藤艦長に、是非、お礼を言いたくて日本を訪れたのです」と。また、「この出来事は、日本人に対して私が持つ印象にずっと影響を与えました。深い尊敬と感謝の念を抱いています」と。だが、工藤俊作氏の消息はつかめなかったという。後に、同氏は1979年1月4日に生涯を閉じていたことが判った。

 工藤氏はこの日の出来事を家族にも語らなかった。その理由について、別の艦船の艦長になった後に「雷」が敵の攻撃で撃沈して全員が死亡。多くの部下と戦友を失った悲しみから終戦後は戦友と連絡を一切とらず、余生を過ごしたため、との指摘がある。ゆえに、一言も触れることは無かったとするものだ。だが、当時の「雷」の航海長を務めていた谷川清澄氏は、「(工藤氏ならきっと)俺は当たり前のことしかやってないんだ。別に、褒(ほめ)められることでもない、と言ったと思います。そういう人でした」と証言している。

 語らなかった真の理由は、やはり美徳ゆえに語らず、との工藤氏の信念にあったと謂えるのかもしれない。
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■ 参考動画

日本の武士道 1】【日本の武士道 2】【日本の武士道 3 
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誇れる日本の武士道

 「武士道」と讃えられる工藤艦長の英断は、日本人の魂から生まれたものと謂えよう。漂流する英国兵を発見すれば、戦場ゆえに、その場で掃討する機会でもあった。また、掃討は、戦争ゆえにどの参戦国にも見られた光景である。強敵には刃(やいば)を抜く。しかし、目前で弱り果てて窮している者を討つ。それはフェアなことではなく、武士道に反する。「漂流者を全員救助せよ」とは、まさに、工藤艦長が自らを制し、武士道の心から発した命令であったのかもしれない。

 日本の武士道は、たとえば、「川に溺れる犬も棒で叩け」(要旨)との喩(たと)えに象徴される、かのどこかの国の精神風土とは根本から異なる。拙き身の血縁には、幕末近いある日、誤って人を殺(あや)めてしまった。そのことを悔いて、手にかけた故人の菩提をともらうために、刀を置いて出家得道し、大僧正となっても、なお菩提をともらい続けた人物がいる。武士道には、たとえ、自らの身を賭しても他を思う心があり、強さがある。新年に際し、あらためて、幾多の先人の功に思いを馳せ、先人の業績に敬意と感謝を捧げ、敬礼を捧げる。そして、日本は毅然と在れ。この願いを本年に託し、短稿ながら、以上を記録資料として紹介する。
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路傍の花(筆者)
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 読者のみなさまにはお忙しい中、日々新たなご訪問をいただき感謝します。「国思う人は国士であり、若き国士は国の未来の財(たから)である」。少年時代に、国思う議員殿からいただいたこの言葉を、国の大事に際し、日の丸を掲げ、日本を守るために毅然と立ち上がった若いみなさまと共有させていただきたい。一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。
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