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2009/01/25(日) 23:24:55 [本もの探し隊]

名曲に残る、その名は「すぎやまこういち」

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東京歌物語<42> 学生街の喫茶店(1972年) それぞれの青春思う
 ボレロ風の特徴あるイントロが印象に残る「学生街の喫茶店」。この歌はフォークソングが全盛時代を迎える一九七二(昭和四十七)年六月に発売され、都会的なロマンチシズムと洗練されたハーモニーで、当時七十万枚を超すヒットを記録した。連合赤軍によるあさま山荘事件がテレビで生中継され、日本中がかたずをのんだ、あの年である。東京新聞記事(切り抜き)1月25日朝刊(26面)/写真は東京新聞の同記事。参照のため引用。

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すぎやまこういち氏による作曲

 「学生街の喫茶店」といえば、昭和47年(1972年)に大ヒットした楽曲で、ご存知の方も数多くおられることと思う。あるいは、学生時代の最中におられ、または、社会人として、この「学生街の喫茶店」に親しまれた方もおられることと思う。ほんの子供であった筆者も気に入り、珍しくレコードを買った記憶がある。その時に、すぎやまこういち氏の芳名を初めて知った次第である。この時期にすでに学生生活にあった「シャボン玉ホリデー世代」のマルコ老人(ブログ休止中)によれば、すぎやまこういち氏作曲のヒット曲はいくつもあり、そのいずれの曲もが、今の時代に聴いても、まったく「古さを感じない」そうだ。

 確かに、その1つであるこの「学生街の喫茶店」を今聴いても、古さを感じない。同じく、すぎやまこういち氏作曲の「亜麻色の髪の乙女」と同様、もう一度、誰かがリカバーしてもヒットするのではないか、と。ふと専門外ながらそう思う次第である。こうした、あの頃聴いた曲、その時に耳に残った曲を、数十年ぶりに聴いてみると、あたかもタイムカプセルを開けたかのように、当時の、さまざまな身近な出来事や世相を思い出す、と。このような感慨を抱かれる方も少なくないのではないか。ふとそう思う時、筆者までもがその年齢域に入っていいたのか、と感慨を深くする次第である。

 表題の記事は、「学生街の喫茶店」を謳ったグループ(GARO)のメンバーであった大野真澄氏の述懐を通じて、果たして、その詩の中にある「学生街の喫茶店」は何処の地点を指しているのか、と。作詞者の山上路夫氏にスポットを当てているが、しかし、特定の場所を指さない方が、やはり歌らしさが残るのではないか、との要旨で綴(つづ)られている記事のようだ。この曲の詩の良さもさながらに、しかし、個人的に心に残るのはやはり曲の良さにある。何といっても、メロディが洗練されている、と音楽には疎(うと)い筆者のような素人にさえ、そう思わせる。その中に「大ヒット」の要素があるのかもしれない。

 

学生街の喫茶店
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すぎやまこういち氏再び

 この曲を生み出したすぎやま氏とは、どのような人なのか、と。心のどこかでそう思ううちに、数十年が過ぎた。そして、一昨年、新潮誌面で「すぎやま氏」が目に入ったのである。多くの方がご存知の通り、特定国の対日毀損に対して心を痛め、すぎやま氏が自費を割いて、米国紙に意見広告を出そう、と試みていた、と伝える記事であった。米国紙の拒絶、謂われなき文面制限によって、当時こそ実現にはいたらなかったが、このすぎやま氏のこの勇気ある行動が、その後の識者連名による米紙における全面広告掲載や、平沼赳夫氏をはじめとする国思う議員諸氏連名による米国議会に対する声明文提起などの、対外活動の端緒となったのである。

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「すぎやまこういち」の南京大虐殺「意見広告」を断った米紙
と記す週刊新潮2007年3月29日号(P54)より

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 当時の、謂われなき対日「謝罪要求決議案」は米国下院議会で“採決”となったが、しかし、当日の出席議員がわずか「10名」に減っていた。そもそも、アメリカ合衆国憲法では、「議決」に必要な議院の定足数(議事進行と議決に必要な最小限の出席者数)を定めているはずだが。本来の『各議院の議員の過半数をもって、議事を行うに必要な定足数とする。定足数に満たない場合は、その当日に休会し、また各議院の定める方法や制裁をもって、欠席議員の出席を強制することができる】との同国憲法(第一条第五節(一))に照らせば、出席議員が「10名」では議事にも成らないはずだった。だが、慣行による「音声投票」で「採決」を強行。韓国紙などは、かくなる”結果を“全面勝利”(要旨)と報じたが、その実態は「民主主義」に疑義を呈すべき些末、且つ強引なまでの“採決”へと化して終わったのである。。

 同決議案に対しては、賛同議員が「167名」はいたはずだが、最も重要な採決の場では、なぜ、「10名」に減ったのか。それこそ、日本発の識者連名の米紙「全面広告」や、と平沼氏らによる「声明文」等が効果を成していたのである。全面広告について、小ブログからも米国の識者の声を伝えた。その内容に異議は無く、むしろ、日本からの主張があれば、声を上げて指摘する大切さを述べていることを紹介した。実際に、確信犯を除く大多数の議員が日本発の合理的な指摘を読み、後ずさりした。それが出席「10名」の「真実」と謂える。努力は決して無駄ではなかった。否、むしろ、大きな効果を発揮していたことが、この「10名」の真実からの十分に窺(うかが)えるのである。
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国思う「お手本」をこれからも

 かかる対日毀損に対しては、本来は、外務省が対応をなすべきところだが、同省はほとんど「何もしない」。このままでは、あらぬ対日毀損が世界に広がってしまう。それならば、と。毅然とした日本、言うべきは言う日本、と。モデルを示された、端緒を開かれた存在がすぎやまこういち氏であった。このすぎやま氏の勇気が、微々たる筆者の書簡活動を続けていた筆者にも、どれほどの励みとなったことか。その敬愛の念は尽きることがない。

 今なお矍鑠(かくしゃく)と国思う講演をはじめ活動を展開されるすぎやまこういち氏は、いくつかの分野に通じた天才、ビッグネームと謂うべき存在でありながら、しかし、決して尊大さを威示するところがない。このような人になりたい、と思う後進の、国思う良識の格好のお手本であり、大きな目標でもある。すぎやま氏の益々のご健勝をお祈りする。
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■ 主な関連記事:

椙山浩一氏が語る 2007/07/09 
有志「すぎやまこういち氏」一考 2007/03/23 

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【筆者記】

 個人的にだが、緑なす若葉区の路々が懐かしい。以上、紙面記事を参照し、思わず想起する憂国の士の存在について、雑感ながら小考を報告する。
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 一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。


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