2008/04/28(月) 19:58:01 [北朝鮮]

 

 
リレーと走る工作員

20080428004
独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第40回
1950年代に日本に潜入していた工作員は内務省所属

 (抜粋)1950年代の北朝鮮の工作員派遣状況をみてみると、対韓工作は党連絡部が主体となり、対日工作など日本からの情報収集は、内務省系が担当するという分担になっていたのではないかと思われる。(中略)当時の北朝鮮工作員の日本潜入は、隠岐島に上陸した「第1次北朝鮮スパイ事件」(第21回参照)の「日本海直接ルート」を除いて、第3国を経由し日本の港に入港する外国船舶を利用しているのが特徴で、当時英領だった香港からの「香港ルート」、広東や上海などを経由する「密輸ルート」などがあった。そうした潜入を繰り返し、日本の港湾や海岸警備の状況などを把握した後に、貨物船や漁船を独自の工作船として運用するという潜入方式を確立していったと考えられる。Brain News Network 4月27日付記事より参照のため抜粋引用/写真は「平壌で行われた北京五輪の聖火リレーを沿道で歓迎する人たち=28日午前(共同)」。中日新聞4月28日付記事より参照のため引用

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平壌で「3人の在日朝鮮人」ランナー

 名は体を表すと謂う。その意味からか、灯火リレーについて、トラックバックをしてくださる有志ブログには、さまざまな呼称があることに気づいた。いわゆる、地獄の炎を象徴するかの「業火リレー」。五輪開催の意義は失われていても、従来の予定を消化する。その意味からの「消化リレー」。どこぞの国のリレーでは、トーチの火が幾度か消え、着火器具らしきもので火を着け直していた、そのような光景が見られたために、「着火マンリレー」という呼称もある。いずれの名称にも、それぞれに有志により、今般のリレーの本質を衝いた英邁な指摘が含まれており、事象を正しく伝えようとされるスタンスに敬意を表したい。北朝鮮でのリレーは、あるいは「工作リレー」と呼べるのかもしれない。

 そのリレーについて、重稿度々で恐縮だが、短稿を呈したい。平壌(北朝鮮)でのリレー(4月28日)は、『北朝鮮では事前にコースと走者が発表され、沿道で数十万人が花を振るなど歓迎ムードに包まれた』(表題写真の記事)とあるように、“平穏無事”なリレー開催が窺える。聯合ニュース(韓国)などによれば、と記し、同リレーは、『市内の主体思想塔で午前10時(日本時間同)に出発式が行われ、北朝鮮ナンバー2の金永南(キムヨンナム)最高人民会議常任委員長から、第一走者のサッカーの元北朝鮮代表、朴斗翼(パクトゥイク)さん(71)に聖火が手渡された。中国大使館や平壌駅、金日成(キムイルソン)広場などを回って金日成競技場をゴールとする約20キロのコースを、在日朝鮮人3人を含む約80人が走る。リレーは午後3時15分に終了する予定』(同)とあった。

 小稿をアップする頃には時刻を過ぎているので、すでに「終了」しているであろう、それはともかく、この平壌リレーは、北朝鮮労働党の幹部らがトーチを手にして行った様子が窺える。その中で、ふと目に留まった文言は『在日朝鮮人3人』がランナーに含まれているとの記述である。異様な国での異様な行事。その中でのことである。どのようにして同行事に参加したのか、そのプロセスは筆者には判らない。だが、対北制裁の最中であっても、このように「北朝鮮国籍」の在日外国人が駆けつける。その様子が窺える記事でもあり、朝鮮総連が、金正日直下の下部組織であることを、あらためて再認識させられるニュースではないか。
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戦後、多数の工作員が日本に上陸

 あくまで参考記事に過ぎないが、しかし、戦後に多数の工作員が日本に上陸。その様子を含めて克明に綴(つづ)る記事があることは、すでにご存知の読者もおられることと思う。『独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日』と題する記事は、この4月27日で「第40回」目におよんでいる。興味深い記事であるため、表題に引用させていただいた。

 その中で、北朝鮮から「工作員」が渡って来る「ルート」には、1950年代から幾重にも存在していた様子が窺える。主な事例がいくつか記されているので、ご参考までに紹介したい。 (以下、引用)

 1955年6月26日、警視庁は「第3次北朝鮮スパイ事件」を摘発した。主犯である韓載徳(偽装名は竹村基、当時40歳)は、1953年4月に内務省の対日工作員に徴用され、スパイとしての教育・訓練を受けた。韓載徳は内務省第3処第7部の崔斗岩大佐の指示により、上海に派遣された後、趙応国ら2人の工作員とともに、無線機4台を携行して、「栄重丸」という密航船で、1953年8月26日、長崎県富津港から日本に潜入した。そして、在日スパイ網の構築や韓国の軍事情報の収集などをおこなっていたが、他の工作員を密出国させようとしていて逮捕され、関係者22人も逮捕されたのだった。

 1957年12月28日に摘発された「新光丸事件」の全基水(偽装名は松田博、当時30歳)は、内務省社会安全部対外安全処第1局から派遣された工作員(陸軍大尉)で、1953年9月頃、香港経由で横浜港から密入国した。全基水は日本人になりすまし、すでに潜入していた指導工作員の部下(無線士)として、収集した情報を暗号化して北朝鮮に送信していた。帰還命令を受けた全基水は、無線機や暗号表を携行し、京都府伊根港から工作船「新光丸」で脱出しようとしたところを、海上保安庁に逮捕された。全基水が逮捕される2日前に「新光丸」から5人の工作員が日本に潜入したことが、その後に判明した。

 また、「三和事件」(1964 年7月16日)で警視庁に逮捕された李基方(偽装名は守谷豊吉、当時57歳)は、1953年9月に内務省政治保衛局の工作員に徴用され、6カ月間のスパイ教育・訓練を受けたのち、香港に送られた。李基方は香港から英国船に乗り、1954年2月16日に他人名義の上陸許可証で横浜港から不法入国した。李基方は所在不明の在日朝鮮人の外国人登録証を入手して、その男になりすまし、「三和自動車株式会社」の社長におさまり、10数人のスパイ網の責任者として、日米両政府による対韓援助計画や日本の再軍備状況、在日朝鮮人対策などの情報を収集し、北朝鮮に報告していた。李基方のスパイ活動は10年以上にもおよび、逮捕される8カ月前には、成りすました男の名義で、帰化申請までおこなっていた。

(以上、引用)
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 また、『日本において北朝鮮のスパイが最初に摘発されたのは、朝鮮戦争が勃発した直後の1950年9月9日のことだった。「第1次北朝鮮スパイ事件」と呼ばれた事案の主犯は、北朝鮮内務省政治保衛局に所属する少佐の許吉松(偽装名は岩村吉松、当時37歳)だった。許吉松少佐は他の2人の工作員とともに密貿易ルートを利用して、1949年8月、島根県隠岐島から日本に潜入した』(第21回記事)との記事では、『この事実は、北朝鮮が建国されて1年足らずのうちに、内務省政治保衛局は許吉松少佐を対日工作員として日本に潜入させていたことを物語っている』とジャーナリスト氏が記している。

 さらに、同記事は、『北朝鮮では建国直後からソ連の指示によって対日工作員を養成し、組織的に工作員を日本に潜入させていたことが分かる。1960年までに公表されたスパイ事件は約15件であるが、これは氷山の一角で、秘密裡に潜入・脱出を繰り返していた工作員は、相当な数だったと考えるのが自然だろう』と締め括られている。今後の「続編」には、その後から現在にいたるまでの経緯がどう記されるのであろうか。興味深いものがある。いわゆる、スパイ防止法が存在せず、多くの場合、入管に関する法律などで密入国や不法滞在で対処せざるを得ない日本の状況。そこには早急な見直しと再検討、および新たな法的措置の確立が不可欠ではないか、と。ふと、そこまで考えさせてくれた「リレー」ニュースであった。
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【筆者記】

 雑感ながら短稿にて失礼する。第3回「国思うアンケート」へのご協力に感謝する。おりしも連休を迎える時期でのこともあり、ご協力をお願いするには困難な状況があったことをお詫びする。第2回の同アンケートの結果をふまえ、闘魂編に結果を順次報告してまいりたい。一連のアンケートは、可能な限り分析と考察を付加して、後日の機会に詳細に報告する。みなさまにはご多忙、ご多用の中、本日も小ブログをご訪問くださり感謝する。
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 読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝しています。ここに、新たに記事をアップさせていただけたことを有難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメントに感謝します。昨今、売国事例と呼ぶべきさまざまな事件、不祥事が露呈していますが、良識の力によってこれらを今周知・打開し、未来の教訓とすべき「日本復刻」への確かな前兆と筆者は観ています。先ず膿を出し切って、病を治す。これもまた自明の道と思います。力を合わせて頑張りましょう。

 一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えていただき、共に闘ってくださるみなさまに心より感謝します。 

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2008/04/28(月) 07:58:42 [国際時事]

 

 
レッドカードをチャイナに!

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聖火 ソウルでも混乱 リレーゴール付近 暴行で米国人ら負傷
【ソウル27日小出浩樹】 北京五輪の聖火リレーが27日、韓国の首都ソウルで行われた。集結した中国人が脱北者らの抗議集会に金属棒やペットボトルを投げ、報道陣が負傷。聖火ランナーの前に飛び出そうとした男1人や、道路脇にまいたシンナーに火をつけようとした男2人が、警察当局に拘束された。中略)リレー終了直後にもゴール近くで中国人数百人が、チベットの旗を掲げた男性を取り囲み、阻止しようとした機動隊と衝突した。警察当局は妨害や衝突防止のため約8300人を動員していた。聖火は北朝鮮の平壌に運ばれ、28日にリレーが行われる。西日本新聞 4月28日付記事より参照のため抜粋引用/写真はソウル市内のホテルと思われる建物に逃げ込んだチベット人、または支援者とみられる男性(赤枠内)に集団暴行を加えるチャイナサポーター。動画より参照のため引用

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灯火「暴力」リレー

 五輪開催の条件として、国内の人権状況の改善を約束しながらも、しかし、その状況はさらに悪化。ゆえに、五輪の開催意義と「聖火」の意味は早々に自動消滅しているに等しい。同五輪、およびそれに関連する催し、行事は、実質的に、中国共産党の示威宣伝のキャンペーンと化していることについては、有志ブログの多くがあつかわれている実態と思う、諸氏の英邁な指摘と論及、周知の尽力に敬意を表し、小ブログからも短稿を呈する。

 長野(4月26日)を経た「灯火」は、韓国に運ばれてリレー行事(4月27日)が催されたようだ。同国内のリレーでは、8000人を超える現地警察官を警備に投入した様子が伝えられている。だが、同国の風土が相乗効果を生み出してのことか、大きく混乱した模様だ。チャイナサポーターによる暴力行為が報じられている。次の報道写真は、『27日、ソウルで、北京五輪に反対するデモに参加した韓国人男性を襲撃する中国人留学生』と題し、AFPから配信を受けた時事通信が報じた1枚である。

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韓国人男性を襲撃する中国人留学生時事通信
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 傍若無人な跳び蹴りである。この場面で思い出されるシーンは、あの2月20日のサッカー「東アジア選手権(男子)」での「日本・中国戦」だ。ゴール前に進んだ安田選手に対し、ゴールキーパーがプレーとは無関係な跳び蹴りを入れた場面はご記憶に新しいことと思う。

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安田選手に対する跳び蹴り記事
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 この時、跳び蹴りを受けた安田選手は担架で運ばれて退場。通常は即座に「レッドカード」が出されるべき場面でありながら、しかし、北朝鮮の審判は微妙な間を置いて「イエローカード」の提示で済ませた。この不審な判定も物議をかもしたのであった。スポーツの試合における出来事とはいえ、現状の中華人民共和国と北朝鮮のつながり。それを象徴するかのシーンに映ったのは筆者だけではないだろう。

 さて、上記の「中国人留学生」による跳び蹴りは、たとえ、相手が誰であろうと、また、いかなる問題があったとしても、あってはならない行為である。幸いにも、と謂うべきか。長野のリレーでは、多数のチャイナサポーターを現地に迎え入れながらも、かの集団が潜在的に持つ暴力行為の火種は、多くの理性によって抑制されたのだが、しかし、「韓国では」とも謂える。
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1人の男性に集団暴力

 読者からいただいた動画情報に、感謝する。韓国での灯火リレーに際し、およそ、沿道から建物(ホテルか)へ逃避したチベット人、またはチベットサポーターとみられる人物を、赤い五星旗をかかげたチャイナサポーターが取り囲み、集団暴行を加えている様子が展開されている。1人に対する暴力と怒声。その狂気、凶暴性にあたらめて気づかされるシーンに映る。

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チャイナサポーターによる集団暴行動画
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暴徒に「レッドカード」

 現地の警備関係者だろうか。数人が間に入って静止しようとするが、しかし、チャイナサポーターの「勢い」はなかなか収まらない。この動画は、中華人民共和国の国内での出来事ではなく、他国で“堂々”と展開する暴力行為の記録でもある。以上は、数多く起きている暴力事件の端例に過ぎない。

 だが、チベットの惨劇については「内政問題だ、他国は干渉するな」(要旨)と主張しつつも、しかし、横暴にも、他国での行事に干渉する。チベットを支援する者に暴圧を与える。暴力を振るう。この矛盾をどう説明するのだろうか。また、「スポーツと政治は切り離すべき」(要旨)と主張しつつも、灯火リレーという、本来はスポーツを象徴する行事に対して、大使館や関係機関を通じて大々的に自国民を送り込む。そのスタンスをどう説明するのだろうか。

 もはや、「灯火リレー」すら、同国が官民一体となった他国への暴圧、暴力の「象徴」と認識せざるを得ない。これらの暴挙に対し、世界の良識から「レッドカード」が突きつけられるべきではないか。
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■ 主な関連記事:

長野「灯火リレー終了」
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【筆者記】

 一般に、「平和」と「暴力」とは対極にあるが、北京五輪はもはや「平和の祭典」とは謂えず、暴力の象徴と指摘して差し支えない。否、暴力が「平和の祭典」を偽装している、と謂えば、その実態により近いものになるのかもしれない。また、国交省による特定国からの渡航者・大量誘致は、これらの暴力を日本へ大量移入するに等しいと謂える。早急な見直しと特定国に距離を置いた政策を。短稿にて。
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 読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝しています。ここに、新たに記事をアップさせていただけたことを有難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメントに感謝します。昨今、売国事例と呼ぶべきさまざまな事件、不祥事が露呈していますが、良識の力によってこれらを今周知・打開し、未来の教訓とすべき「日本復刻」への確かな前兆と筆者は観ています。先ず膿を出し切って、病を治す。これもまた自明の道と思います。力を合わせて頑張りましょう。

 一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えていただき、共に闘ってくださるみなさまに心より感謝します。 

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