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2009/09/24(木) 14:54:07 [メディア報道の闇]

朝日新聞の「通名報道」を質す

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口論中、妻の首絞め死なす=殺人未遂容疑で54歳夫逮捕-警視庁
 22日午後4時40分ごろ、東京都江戸川区東瑞江のアパートで、「女房を殺した。首を絞めた」と110番があった。警視庁小松川署員が駆け付けたところ、アパートに住む韓国籍の無職朴淑子さん(52)が居間で倒れており、約1時間半後に搬送先の病院で死亡が確認された。同署は殺人未遂容疑で、同居の夫で韓国籍の無職洪京吉容疑者(54)を逮捕。容疑を認めており、同署は殺人容疑に切り替え、詳しく調べる。時事通信Web)9月22日付記事より参照のため引用/写真は、同事件の容疑者を通名で報じる朝日新聞記事(切り抜き)9月23日朝刊(31面)より参照のため引用

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朝日「恒例」の通名報道

 桜大和掲示板で、読者からご指摘いただいていた朝日新聞の通名報道だが、同紙面と別報道(例,表題の時事通信記事)をそれぞれ確認させていただいた。朝日の紙面を見れば、あたかも日本人の殺人未遂であるかの印象を受ける。だが、国籍と本名で報じる記事(時事通信)と比較すれば、この後者の、事実をそのまま報じる方が「情報」として正解である。

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時事通信Web)9月22日付記事
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 裏を返せば、朝日新聞の通名報道は、事実の隠蔽(いんぺい)さえ等しく、「報道」にはなっていない。目立つ情報の加工と操作、捏造記事とともに、その病癖(びょうへき)は、社会的にもっと広く問われるべきだ。その願いを込めて、小稿に下記を報告する。
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通名報道の誤りについて

 早速、朝日新聞に問い合わせをさせていただいた。

筆 者: 御紙23日付31面の紙面についてお尋ねしたい。「妻殺害容疑54歳を逮捕」と題する記事には、「殺人未遂」で逮捕された人物の名前を「徳山京吉容疑者」と報じておられる。だが、別報、時事通信の同旨記事を観れば、「韓国籍の無職洪京吉容疑者」とある。逮捕された人物が同一であっても、記事を読む側の者としては、まったく異なる印象を受ける。

朝 日: ご存知かと思うが、朝日新聞では、在日韓国・朝鮮人の方を通名で報道する方針でいる。これらの方々は通名で生活して来られたわけだし...

筆 者: 通名とは偽名であり、複数の通名も名乗り分けることができる。こうした外国人の犯罪報道では、国籍と本名を報じるのが、「事実」を報じるべき報道の当り前のスタンスではないのか。

朝 日: まあ、歴史的なこともあるし、日本で通名を名乗らざるを得なかった事情も考慮しての報道スタンスだ。ご理解いただきたい。

筆 者: 理解いたしかねる。たとえば、私は外国での生活が長く、多種多様なメディア報道にも接して来たが、その国で「外国人」に該当する人物による犯罪があった場合には、国籍や本名は整然と報じている。報道に必要な「事実」に他ならないからだ。これらの、一般的なスタンスに比べれば、御紙をはじめ毎日新聞などによる通名報道は異常である。私の知る限り、世界広しといえども、外国人犯罪を偽名で報じるのは御社はじめ日本の一部のメディアしかない。
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 あくまで、喧嘩腰ではなく淡々と尋ねた。先方もまた、淡々と“朝日新聞のスタンス”を説明しておられたのだが、その“方針”はどう拝察してもおかしい。このことについて、さらに指摘させていただいた。
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“歴史背景”について

筆 者: 歴史的云々と仰せだが、おそらく強制連行のことではないか。

朝 日: まあ、そういう歴史を指している。

筆 者: 御紙(朝日新聞)の昭和34年7月13日付の記事には、当時の外務省の発表をこのように記しておられる。云く、「現在、登録されている在日朝鮮人は総計六十一万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は二百四十五人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留した者である」と。

朝 日: なるほど

筆 者: その徴用の期間についても、「国民徴用令は日本内地では昭和十四年七月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ昭和十九年九月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関-釜山間の運航が止まるまでのわずか七ヶ月間であった」と記しておられる。最近は、徴用を“強制連行”に置き換えるかのような論旨が横行しているが、、徴用と“強制連行”は根本的に違う。つまり、徴用は募集と報酬をともなうもので、いわば、西欧にあったような、奴隷とするための“連行”行為とは異なる。まして、徴用はそれ以前から日本国民に対して存在していたが、朝鮮地方を対象とした徴用は戦中末期のわずか7ヶ月間であった。それで、御紙は、「戦時中に徴用労務者としてきた者は二百四十五人にすぎず」と記され、他は自由意思での日本入国であることを記されている。

朝 日: どこの新聞か?  (筆者、茶を吹く)

筆 者: 御紙だ。朝日新聞の昭和34年7月13日付の記事にこう記しておられるではないか、と申し上げているのだが。

朝 日: ... 仰せの内容を担当に申し伝えておきたい。でも、通名は...

筆 者: 通名で報じる、報じないは、あくまでもメディアの「表現の自由」に当たる、とお考えなのかもしれない。だが、国籍も報じない、本名も報じない、偽名だけで報じる、とあれば、(=イコール)虚偽報道とみなされてもいたしかたあるまい。御紙がどんどん信用を失うだけではないのか。「事実」を報じるべきメディアの魂は御紙にはないのだろうか。

朝 日: ... ご指摘の内容を担当に申し伝えておきたい。

筆 者: 今後も御紙面を毎日拝見すると思う。また、これからも、指摘させていただくことも多いが、あくまでも、本当のことを知りたい、事実を知りたい。その読者の立場と視点からお尋ねすることをご理解いただきたい。

朝 日: よくわかりました。
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 さりとて、朝日新聞の“通名報道”のスタンスは今後も続くであろう。だが、粛々とした指摘活動は今後も同様に続け、今後もメディアの虚構を指摘してまいりたい。
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■ 主な関連記事:

通名と破壊脅威 2009/05/19 
朝日「日本人」報道の闇 2009/02/02 
朝日毎日「江波戸」 報道 2008/09/11 
毎日新聞宛質問・意見書  2008/08/21 

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【筆者記】

 通名を名乗っているのは在日韓国・朝鮮人のみで、在日ドイツ人、在日フランス人など、他の外国籍者で「通名」を名乗る人は先ずいないであろう。メディアが通名報道を続ける限り、偽証社会の幇助にも通ずる。通名の使い分けが、たとえば、資産の分割隠蔽による脱税や、生活保護の虚偽申請の要因ともなっている、との指摘がある。これについても、この先で、廃止すべき事項に違いない。以上、朝日新聞の記事を参照し、小考と取材についての報告稿とさせていただく。
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 読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝します。ここに、新たに記事をアップさせていただけたことを有り難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメント、メッセージをいただき感謝します。「国思う人は国士であり、若き国士は国の未来の財(たから)である」。一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可 欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。


 日本は毅然とあれ! 
 
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2009/09/22(火) 20:22:45 [季節の写真稿]

実りの秋の近況

 暑さ寒さも彼岸まで、とはいえ、今日の湘南地域はいささかの残暑を感じさせる一日でした。みなさまのお身近にはいかがでしょうか。

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路傍の花(筆者)
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 久々になりますが、国思う調査隊(非組織)を発動し、本日は、近隣の有志とともに、外国籍者の居住が過半数を占めているという県下の公団を調べてまいりました。公団は、一体、誰のためにあるのか。日本国民は、抽選と厳正な書類審査でしか入居できないとされる公団へ、外国籍者が増え続けるのは何故か。平成19年(2007年)の統一地方選挙で民主党系が圧勝して以来、この傾向が顕著になって来たようです。これらについては、今後も調査を続け、資料にまとめて後稿の機会に、国思う議員諸賢への送付資料とともに報告させていただきたく思います。
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実りの秋に

 それはさておき、調査の帰途も少々暑さが感じられ、蝉の声が聞こえる午後でしたが、しかし、その中にも、実りの秋を感じさせる光景を目に出来ましたので報告します。農道の付近には、柿がたわわに実っていました。初秋を告げる光景といえるのかもしれません。

 柿を水洗いして、四等分ほどに切り分け、米酢を満たしたビンの中で漬けて保存する。後に、柿が十分に米酢に漬かったら柿酢が出来る。それをコップで飲めば、大変に健康に良い、との話を、幼い時分に祖母から聞いたことがありました。そもそもの、柿の薬効が浸みわたる、アミノ酸とビタミンが豊富な自然飲料が出来上がるのかも知れません。この秋は、是非、作ってみたく思います。

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実る柿の実(筆者)
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 藤沢市の境川(さかいがわ)沿いには、豊かな田園風景が広がっていますが、中には、林檎を栽培しておられる農家が存在しています。温暖な湘南の地で、日本が世界に誇る「富士」(林檎)を目の当たりにできるとは。感慨もひとしおでした。10月中旬が収穫時、とのことです。

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林檎農園の「富士」(筆者)
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 これは「紅玉」という、いわば、古典的な林檎とのこと。「紅玉」は、「くじらの竜田揚げ世代」のマルコ老人(友人)たちが学校給食のメニューでお世話になったのではないか、と拝察しています。とてもシンプルな味で、おそらく、日本の林檎の「味」そのものではないか。いただいて来た「紅玉」をひとかじりして、先達の方々のご苦労を偲ばせていただく思いがいたし、また、ひとかじりして、涙がにじむ思いがしました。

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林檎農園の「紅玉」(筆者)
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 この境川の流域からかなり離れた地点になりますが、気になるため、先稿で報告させていただいた「義広米2号」の様子を、本日も点検してまいりました。本年は日射量が少なく、生育を心配していましたが、折々に、メンテナンスに行った甲斐もあってか、こちらもたわわに実っていました。植物栽培は決して専門ではありませんが、限られた耕地面積で豊かな収穫を、との日本の食を思う志はある。専門諸氏に提案でき得る栽培法を確立できれば、と考えています。今年も、少量ながら収穫できそうです。

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実った「義広米2号」(筆者)
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 国思うみなさまには、健康で、実り多き良い秋を迎えられることをお祈りしつつ、以上を報告します。


平成21年9月22日


博士の独り言
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2009/09/10(木) 19:09:02 [国思う講義録]

メディアの実態について

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売国メディアの真実
 コロさんから実際の紙面と見間違うような記事(写真)をいただきました。皮肉を込めたパロディかと思いますが、しかし、現状の本質を射抜いています、ご提供有難うございます。こうした記事が実際に掲載されたとしても、「おお、朝日新聞もたまには本当のことを書くのか」、と何時もの違和感なしに読めるのかもしれません。ここで思い立ち、去る8月22日の国思う勉強会でお話しした内容を小稿に報告します。博士の独り言/写真は、コロさんからいただいた「売国メディア宣言」(諷刺

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メディアに観る4つの傾向

 みなさまには、ご多忙の中、残暑厳しき折、遠路より勉強会へお越しいただき感謝申し上げます。

 政治ブログ「博士の独り言」では、一般に呼ばれるマスコミ、マスメディアをひと括(くく)りにして、「メディア」と呼称しています。これには、特に深い意味はありませんが、多くの人々を対象とする「マス」の意味は、その実態上でごく当然のこととして論考の上ではこれを省き、「メディア」の部分に、その本質論及の焦点をあからさまに絞り、そのメッセージをブログから発信させていただく。その意味を込めているつもりです。

 そもそも、「メディア」には媒体という意味があります。本来は、事実と、事実を知りたい人々の間に存在してその仲介、伝達をなす意義があります。その仲介、伝達が厳正に出来得て、はじめて「メディア」と呼べるのではないか、との問いかけと、実態に対する諷刺(ふうし)の意味を込めて、あえて「メディア」と呼ばせていただいています。

 残念ながら、「メディア」には、概ね、次の4つの傾向が目立ちます。1つ目に指摘すべきは、あくまで、事柄にもよりますが、なかなか「事実を報じない」傾向です。ブログから指摘させていただいている闇法案もこれに該当します。2つ目は、事実を少し報じながら、当該の情報全般を脚色し、結果的に、「事実とはかけ離れた報道」がなされている傾向です。たとえば、本来は、不法滞在という犯罪をなしていながらも、当事者(すなわち犯罪者)が、あたかも悲劇のヒーロー、ヒロインに仕立て上げるかの報道スタイルがこれに該当します。

 3つ目は、広告やCMなど、あからさまなビジネス関係、権益に篭絡されるかのように、報じるべき事柄を報じない傾向にあることです。たとえば、カルトやパチンコの事例のように、権益に追従し、実態に目を瞑るかの傾向がこれに該当します。4つ目に指摘すべきは、表現の自由に名を借りた暴力です。メディアが、本来有すべき公正な社会的な役割を放棄しているに等しく、たとえば、個の圧殺をなすかのような大報道などがこれに該当します。


 本日の国思う勉強会では、これら4つの傾向を事例に照らしつつ、メディア報道の見分け方と事実の峻別について、および報道に対する対処法をみなさまと考えてまいりたく思います。

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1.事実を報じない

麻生総理と鳩山代表(民主党代表)による党首討論の事例


 麻生太郎総理と鳩山由紀夫代表(民主党)による直接討論が、この8月12日に実施され、それに先立つ1週間前に、通信社による一応の速報がありました。その速報の中に、「党首討論について、自民党は当初、テレビの地上波でノーカット放送することを条件としていたが、NHKと民放各局が応ぜず、最終的に同党が譲歩した」(下記)とありました。

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時事通信8月5日の配信
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 一般に、ノーカットの中継、録画の放映は決して珍しいものではありません。当該の、総理、民主党代表の両氏による討論は、国の命運さえ左右しかねない総選挙(8月30日)を間近に控え、国民にとっては、一票を判断する上で貴重な参考情報となるはずで、全編を報じる重要性はことのほか高いはずです。しかし、NHKはじめ各局は、ノーカット中継放送に応じないばかりか、TV番組表にも採り上げなかったのです。どうしたことでしょうか。

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産経新聞「週刊TVガイド」8月9日朝刊より
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 この有識者や経済人らによる「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)主催の、自民党の麻生太郎総裁と、民主党の鳩山代表との党首討論は、当日の午後4時30分から1時間半にわたって行われました。

 あらためて、番組表を観れば、党首討論のノーカット中継の1つさえ入れない理由が不明でした。言葉は悪くて恐縮ですが、指摘させていただけば、国民の将来には関係ない、いわば、どうでも良い番組や再放送は数多と存在しています。しかし、党首討論については、ニュース番組の中で少し報じればよい、と。その程度のメンタリティしか窺えなかったことを残念に思うブログ読者は多かった。"政権交代"キャンペーンへの幇助を指摘すべき報道傾向にあって、都合良さそうなシーンをカット挿入し、スポンサーの意向に沿ったかの解説で脚色する。そのおぞましい構造がことさら露呈した事例と指摘できるのではないでしょうか。

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時事通信8月12日の配信
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 さて、その党首討論を、ネットでご覧になったみなさまから多くのご感想をいただきました。最も多かったのは、スピーチの内容でも、底力でも、麻生総理が圧倒していた、とのご感想です。麻生総理の語調には、実態を踏まえた具体性とメリハリが有り、語調に自信が感じられのに対し、鳩山氏の話には、抽象的な希望的観測を述べるくだりが目立ち、どこか体調に問題でもあるのか、語調に自信と元気が感じられなかった、とのご感想もありました。国会での党首討論に比べて時間が長く設定され、また、討論の質疑応答の区切りが明確化されていた分、聴く側もじっくりと耳を傾けることが出来る討論会であり、両者(登壇者)の全般的な対比がしやすい内容でした。

  国政選択、政局選択、の総選挙をメディアが強調するほどに、テレビでノーカット放映すべき意義と責任は、報じる側に十分にあったはずです。
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2.事実とはかけ離れた脚色報道

「カルデロンさん」大報道の事例

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東京新聞記事(切り抜き)4月13日夕刊より
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 折々に、読者のみなさまから、日本を悪くする元凶はマスメディアではないか(要旨)、とのご指摘をいただくことがあります。まさに、的を射たご指摘であり、もはや、マスメディアは、物事の筋道を違えた「倒錯の病理」を、ニュースを通じて、番組を通じて、あるいは、CMや広告を通じてまき散らす「日本破壊の府」、と指摘すべき側面があります。たとえば、小ブログでも取り上げて来た、一連の「カルデロンさん」大報道などは、その典型的な事例と謂えるでしょう。

 そもそも、不法滞在は違法であり、右方滞在者は犯罪者です。犯罪者は、法の裁可のもとに等しく措置を受けるのがごく当たり前の話です。その点で、日本国民も、遵法に日本に滞在する外国籍者も同じ、たとえば、ガム1つを盗んでも逮捕され、法の裁可を受けます。不法滞在の場合もまた例外ではないはずです。やはり、法の裁可を受けて強制退去、送還の措置を受けてごく当然なのです。しかし、「カルデロンさん」大報道ディアでは、違法者を「さん」付けで報じ、あたかも、当事者がヒロイン、ヒーローであるかのようにあつかい、度々の記者会見を開き、情状の哀惜に訴える大報道を繰り返したのです。おかしな話ではないでしょうか。


 たとえば、上記の東京新聞の記事に、「中学校から午前十一時前に帰宅したのり子さんは正午すぎ、父親のアランさん(36)と母親のサラさん(38)と一緒に自宅を出た」と。また、「三人とも泣きはらし、のり子さんとサラさんはハンカチを握りしめていた。自宅前でアランさんは同僚と抱き合い、「ありがとう」。アランさんは前夜、のり子さんに「頑張って」と励ましたといい、JR西川口駅に向かう道の途中で「地域の皆さんが応援してくれて感謝しています」と話した」とあります。マスメディアが、このように筋道を違えた報道に触れ、「テレビでこう言っていたから」。「新聞にこう書いてあるから」と。それに同化するかのように、カルデロンさん一家は可哀相だ、と情状を優先してしまう人々は数多と現出するでしょう。そこに、メディアの罪があります。


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産経新聞「主張」3月14日朝刊より
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 そうした大報道の最中にあって、「主張」(産経紙面)は、その道筋が示されていたことが、唯一とも謂うべき、良識の灯火に映りました。

 そもそも、日本人の好意や親切を逆手に利用する。涙や子供を盾にする。その卑怯な手法で権利、また権利のみを主張するメンタリティが横行していることに気づくべきです。くれぐれも、筋道を違わないために、法の平等な裁可のもとに事象を峻別、認識する眼が重要です。また、法の平等な裁可は、日本国民と真面目に暮らす外国籍者の「人権」を守る上でも不可欠であることを確認する必要があります。本来、メディアは、この法治国家の筋道を視聴者、読者に示す存在として機能すべきです。
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3. ビジネス、権益に篭絡される

カルトによるメディア篭絡


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週刊新潮 2008年12月4日号の誌面より
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 ここに参照する新潮誌面では、いわゆる、新聞と創価学会のビジネス関係を示す事例の1つとして、創価学会の「広告」掲載の実態を指摘しています。本来、新聞は、社会の木鐸と期待される位置づけにあるとはいえ、しかし、創価学会が呈する巨額の広告費に篭絡され、本来有すべき機能を喪失している、とその嘆かわしい概容を記しています。

 ジャーナリストの山田直樹氏らが、先年に、創価学会のメディア支配、と指摘しておられた、巨額の代行印刷費、広告費による篭絡が、創価学会(公明党)にとって都合が悪い記事は新聞に書かせない。その一方で、創価学会(公明党)に都合の良い「提灯記事」や「投げ込み記事」は平然と掲載する、との現象が随所で露呈しています。

 たとえば、先年の「国籍法改正案」の上呈、および国会審議の事例が挙げられます。その事案が大きな「重み」を有していたにもかかわらず、一部の紙面を除いては、記事を掲載しなかった。そのプロセスのパターンは、闇法案のそれに似ていました。その確たる事例を、みなさまも目の当たりにして来られたことを思います。そこから逆証すれば、同事案を引導して来た公明党(創価学会)にとっては、もしも、新聞が報道して国民議論にでもなれば「都合が悪い」からに他ならならない、と認識すれば、事の次第が判りやすくなるのではないでしょうか。

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創価学会広告を掲載する各紙(2008年11月18日朝刊)

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 上記の広告は、創価学会の「創立記念日」をアピールするものですが、折しも、国会における「国籍法改正案」の審議の最中でもあり、代行印刷、広告などのビジネス関係に篭絡された新聞の姿を露呈するものとなりました。それがまた、カルトの戦術とも指摘できるのです。
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4. 個の圧殺

中川昭一元財務兼金融担当相のケース

 中川昭一氏の財務相・兼金融担当相の辞任(2月18日)にともなう大報道がご記憶に新しい方も多くおられることと思います。当時の報道を観れば、与謝野馨氏が就任。中川氏の辞任にともない、野党は問責決議案を取り下げたが、明日(19日)の衆議院予算委員会では、麻生太郎首相の任命責任を追及する構え、であると記されています。


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産経新聞2月18日朝刊より
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 メディア大報道にはじまる閣僚辞任、そして、首相の任命責任を追及へと移行する動きは、昨秋の中山成彬氏の国土交通相辞任の時とウリ2つの「倒閣」パターンでした。また、この攻撃を波状的に仕かけること自体が、首相、ひいては内閣のイメージ貶めの、印象効果を発揮するものでした。どのプロセスにおいても、関与するメディアの責任は、公器であるべきその社会的立場からすれば、非常に重いはずですが、大報道のスタイルは異様なまでに無責任に映りました。

 いわゆる、民主党の的はずれな「倒閣」攻撃であっても、それが、あかたも社会正義であるかに報じる。首相や閣僚の職務上の瑕疵(かし)を追求し、責めるというよりは、顔に貼った絆創膏や失言、読み違え等々の、いわば、枝葉末節を誇大報道する。繰り返し、また、繰り返し画面に流す。紙面に執拗なまでに書く。その誇張報道をもとに野党が責めに責める。そのパターンは、中川昭一氏の場合も同様でした。「酩酊会見」は確かに失敗に映りましたが、そればかりを拡大報道する反面、肝心な、同大臣のG7会議での職跡については報道しなかったのです。

 件の、G7終了後の中川昭一氏「酩酊会見」(15日)前日になりますが、IMF専務理事と中川昭一氏のやりとりの模様を伝える速報記事(14日)では、たとえば、時事通信は、こう結んでいたました。日本提示の基金拠出に対する評価について、云く、「加盟国支援が必要になった場合、要請を受けた日本が約100兆円の外貨準備からIMFに貸し付ける形で拠出する。加盟国による資金提供としては過去最大で、ストロスカーン専務理事は「人類の歴史上、最大の貢献だ」と謝意を表明。財務相は「有効活用を期待したい」と述べた」と。こう記していたのです。日時は(2009/02/14-10:03)とある点にご注目いただきましょう。

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時事通信2月14日付記事(魚拓版より)
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 ところが、同じ日時、すなわち、(2009/02/14-10:03)で、この結びの文言が削除された記事に入れ替わっています。通常は、通信社が文面を変えた、一部を削除した、とあれば「改訂記事」になるはずですが、日時は変わらず、でした。これが正式な記事となりました。

 
2009091012
時事通信2月14日記事(2月17日20時)
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 文言削除によるこの差分は何を意味しているのでしょうか。ストロスカーン専務理事と中川昭一氏のやりとりの報道に、何か不都合でもあったのか。それとも、個の圧殺の準備だったのでしょうか。


 本来は、言論の府であるべきメディアが、第三者に篭絡され、あるいは、権益に浸った都合勝手なスタンスによって、むしろ、本来は守るべき「個」の存在、言論の圧殺に奔(はし)るようなことがあってはならない。この思いを強くする次第です。

 また、以上に事例を通じて指摘させていただく諸事項とは無縁のメディアの誕生が待望されるところでもあります。また、新たなメディアの台頭を端緒として、本義に立ち還った報道スタンスを、モデルケースとして世界に発信して行くべき道筋を開くべき、と考える1人です。以上が本日の勉強会の概要です。

 以上、国思う勉強会(8月22日より
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平成21年9月10日報告

博士の独り言
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   読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝します。ここに、新たに記事をアップさせていただけたことを有難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメント、メッセージをいただき感謝します。一 日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可 欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。




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