2010/03/01(月) 18:47:50 [民主党]
仙谷由人氏「窃盗体験を語る」の巻
仙谷大臣、学生時代の“窃盗”告白 薬局の「ケロちゃん」失敬
仙谷由人国家戦略担当相は1日、ラジオ日本の番組に出演し、薬局などの店頭にあるカエルをモチーフにしたキャラクター看板を、東京大学在学中に持ち出して下宿先の部屋に飾ったエピソードを披露した。産経新聞(Web) 3月1日付記事より参照のため抜粋引用/写真は産経新聞の同記事より参照のため引用
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本来、社会に範たるべき「公人」の立場
表題は、仙谷由人氏(国家戦略担当相)が、学生時代に、薬局店頭の看板を盗み、ご自身の部屋に飾った、との“エピソード”を語った、として、その部分を含む興味深い記事である。今後の参考までに、小稿にクリップさせていただきたい。
先ず、筆者に斯様な窃盗経験があるのか、と自問自答すれば、「無い」、と自信をもって答える。ごく幼い頃から、父母から、また、祖父母から、ニュースなどの事例を通じて、いかなる事由にあれども、窃盗は人間の為す行為に非ず、と教えられて来たからである。これは、いかなる立場にあれ、人間の存在の基本ではないか。子供たちの世代に教え伝えるべきことではないか、と今もごく当たり前にそう認識している。
それを政治家という「公人」、まして、閣僚という最たる立場に約せば、むしろ、こうした、ごく当たり前の事柄についても、身をもって「範」を国民に示すべき立場にある。たとえ、面白可笑しく、とのつもりで、ラジオ番組の中で語ったとしても、同時に、数十万、数百万の聴き手がいるはずであり、「公衆」を面前に語っているのと同様の重みがある。まして、「公人」の言動、とあれば、その重さには測り知れないものがある。
その「公人」の立場に逆行するかのように、学生時代の窃盗体験を自慢気に“エピソード”として語る、とすれば、人間的に支障をきたした人物、としか筆者には認識し得ないのである。
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「酒を飲んだついでに」
表題には、「仙谷氏は番組のパーソナリティーからあだ名を聞かれ、「小さいころはチビ。(その後)兄弟からはボクと呼ばれていた。大学のころはケロヨンだった」と紹介した」と。また、「聞かれもしないのに、学生時代のニックネームの由来について「(薬局の)看板を夜、酒を飲んだついでに失敬して下宿の部屋に飾ったから」と明かした」、と記されている。事実とすれば、確たる「窃盗」であり、発覚すれば逮捕されていたであろう。
また、「酒を飲んだついでに」、「酔った勢いで」、との状況で、店先の品物を盗んだり、あるいは、電車内で痴漢行為を働いたり、とのかどで逮捕された、との事例はごく一般に存在しており、なにもNHK職員や毎日新聞社員に限られたことではない。つまり、酔っていたから云々は、“無罪”主張の理由にはならない。仙石氏のケースも同様であろう。
筆者がこう語れば、綺麗事のように聞こえる方もおられるのかもしれない。だが、問うべきは、本来、人間としてごく当たり前の品位、倫理すら「綺麗事」に聞こえさせてしまう「世情」にあり、それに気づかない「心」ではないか。それはともかく、脱税にせよ、「私は知らなかった」(要旨)、との虚構の言い逃れにせよ、刑事起訴されても辞職しない議員諸氏にせよ、民主党政治家に目立つ、これら社会におよぼす病理には、測り知れない重さがある。
特殊な毀日国の低位なメンタリティに同化し、日本人の心まで壊そうとする社会病理の政党、と認識して差し支えない。短稿ながら。
平成22年3月1日
博士の独り言
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日本は毅然とあれ!
路傍の犬(筆者)
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2007/05/18 00:00 カウンター設置 (ブログ再始動の翌年に設置。数値はPCカウントのみ累算です。機能上、携帯アクセスはカウントされていない状況です)
Author:博士の独り言
震災のお見舞いを申し上げます
平成23年3月11日、東北、北関東太平洋沖を震源として発生した東日本震災により、甚大な被害に遭われた被災地のみなさまに心よりお見舞いを申し上げます。
震災の犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げ、被災地の早期復興と、被災者のみなさまが一日も早く生活と安寧を取り戻されることを心よりお祈りいたし、国家の恢復を念願いたします。
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