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2014/08/11(月) 00:31:00 [武士道に学ぶ]

敷島の武士道 一期一会(1)

 「一期一会」は多くの方がご存知と思う。ゆえに由来と説明は省くが、敷島の「人の道」をなす重要な一つととらえ、事例を通じて若干だがメモに記してまいりたい。なお。事例の参照はその説明のためでありもとより悪意の類ではない。

 先年、瑣末な身へ「支那製の餡子かもしれませんが、召し上げっていただきたい」(要旨)と和菓子をわざわざ携えてくださった方がおられた。無論、ご本人は悪意ではないにせよ、お心には感謝するとしても、やはり贈り主が「得体の知れない」ものを差し出すに等しく、無礼に当たる事例と謂わざるを得ないのである。

 「一期一会」とは、結果的にそれが最期の挨拶、出会いになっても身に悔いの残らぬよう、流儀にあらぬ恥や遺恨を残さぬように接することを本分とするのであって、拙き身でさえ贈答をなす場合も、その時の分相応の最善の、言い換えれば自らもが食さぬ、使用せぬ最善のものを選んで来たつもりである。以って、上記のような戯けをなしたつもりも無い。

 メンタリティの朝鮮化が横行する昨今に問いたい一つである。(つづく)

平成26年8月11日
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2014/08/10(日) 23:00:00 [武士道に学ぶ]

敷島の武士道  遺書(1)

 メルマガに「遺書」と題するテーマを記したことが有ったが、あなたは「なぜそう死に急ぐのか」との反応も頂戴した。もっとも「遺書」とした事由は、それが敷島人の日常に在るべきたしなみの一つであるためで、「死に急ぐ」云々の悲観的な感情によるものでは一切ないことを先ず記しておきたい。

 たとえば、愚生の学部時代の恩師は、常に遺書を準備し事有るごとに改訂をなす人であった。その主旨は、無論、自身が無事で日々新たに生きることが出来れば「無事これ名馬」だが、万一の事故などで不意に命を終える可能性も「ゼロ」とは謂えない。そこで、その万一の時に、周囲に迷惑や混乱が起こらないようにと。他を思慮し、憂いなきように準備しておく「たしなみ」の一つが遺書なのである。

 ちなみに、学部時代の恩師は四半世紀以上を経た今もご健在であり、しかし、ご自身の遺書の改訂版を今も更新されていると伺う。

 さらに一つ謂えることは、「死」は誰人にも訪れるのであって、身の「死」を意識してこそ「生」が充実するということだ。己は永遠に死なない存在と錯覚しているかの我欲や、権利の主張が横行する昨今に問いたい一つである。(つづく)

平成26年8月10日
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