2008/05/04(日) 19:26:36 [武士道に学ぶ]
敵兵を救助せよ!
英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長
読者から表題の書籍情報をいただいていた、感謝する。短稿に紹介する。博士の独り言/写真は「来日したフォール卿」動画よりより参照のため引用
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資料として編集
事情により、再掲で恐縮だが、新たなカテゴリーを設け、本記事について、日本の武士道を見直す。その資料の1つとしてアップさせていただく。良識が、幾多の先人の功を見直され、日本の心を再考される。稚稿ながら、1つのご参考として、どこかでお役に立つ機会があれば幸いである。
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死ぬ前にお礼を言いたかった
英国から、はるばる感謝を述べるために来日したフォール卿(当時・フォール中尉)は、その日の出来事を振り返り、次のように語った。云く、「救助の旗が揚がった時は、夢かと思いました。彼ら(日本兵)は敵である私たちを全力で助けてくれたのです」と。また、「1人、2人を救うことはあっても、全員を捜そうとはしないでしょう。たとえ戦場でもフェアに戦う。困っている人がいれば、それが敵であっても、全力で救う。それが日本の誇り高き武士道であると認識したのです」と。
このフォール卿の著書(1996年)と来日がなければ、この出来事は知られることがなかったのかも知れない。
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敵兵の命を救った艦長命令
開戦翌年の1942年 (昭和17年2月27日)。ジャワ島北方のスラバヤ沖で、日本艦隊と英米蘭の連合部隊が交戦。連合部隊側は艦船15隻中11隻を撃沈で失い、残る4隻は逃走。撃沈した「エクゼター」(英海軍の巡洋艦)の乗組員多数が救命ボート等による漂流を続けていたが、生存の限界に達した3月2日に、日本海軍の駆逐艦「雷」が海面に浮遊する多数の英国兵を発見。敵潜水艦から魚雷攻撃を受ける危険性がある。その戦場でのことであった。その前には、日本の病院船の救命ボートが攻撃を受け、158名が命を落とす事態も起きていた。まさに、交戦最中の危険な海域での出来事であった。
「駆逐艦『雷(いかづち)」 (Wikipedia)より参照のため引用
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だが、「敵兵を救助せよ」。「雷」艦長の工藤俊作少佐のこの命令により、「雷」は「救難活動中」を示す国際信号機を掲げ、英国兵の救助に当たったのである。だが、長時間の漂流で体力を消耗している英国兵を海面から拾い上げる救助作業は難航。そこで、工藤艦長は「一番砲だけ残し、総員敵溺者救助用意」との命令を発し、船内総力を挙げての救助に当たるよう指示したのである。
漂流していた英国兵 (動画より)
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ほぼ総員に近い兵員と、はしご、ロープ、竹竿(たけざお)等々。さらには、魚雷搭載用のクレーンまで、使用可能なすべての装備を投入した救助であった。「漂流者を全員救助せよ」。「漂流者は1人も見逃すな」。工藤艦長のさらなる命令により、「雷」は進行しては止り、すべての英国兵を救助したのであった。その数は実に「422名」。まさに「雷」の乗組員に倍する人数であった。さらに、「雷」の兵員はそれを厭(いと)わず、重油で汚れた英国兵士の身体をアルコールと木綿で丁重拭き取り、貴重な水と食料を提供したのであった。
その翌日、ボルネオ停泊の病院船へ捕虜として引き渡すことになるが、救助した英国兵の中から将校たちを甲板に招き、工藤艦長は次の言葉を発している。「You had fought breavely.(諸官は勇敢に戦われた)」。「Now, you are the guest of the Imperial Japanese Navy(諸官は日本帝国海軍の(名誉ある)ゲストである」。艦長のこの言葉に、英国将校たちは敬礼を以って感謝の意を表したのであった。
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敵兵を救助せよ!
英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長
単行本: 334ページ
出版社: 草思社 (2006/06)
ISBN-10: 4794214995
ISBN-13: 978-4794214997
発売日: 2006/06
価格: ¥ 1,785 (税込)
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書籍の概要
一九四二年二月二八日のスラバヤ沖海戦のあと、日本海軍は、自艦を撃沈され海上を漂流する多数の連合国兵士を救助した。文字どおり武士道が発揮された瞬間であり、世界海戦史上でも稀な感動的な出来事なのだが、にもかかわらず、これまで戦史にのることもなく、ほとんど語られることがなかった。それは、工藤艦長が、戦後自衛隊にすすむこともなく、同期の人たちの勧めで就職することもなく、周囲に自らを語ることもなかったという事情もあるが、やはり東京裁判史観の影響があったことは否めまい。
ところが、平成一五年、スラバヤ沖海戦で「雷」に救助された元英国海軍少尉フォル卿が来日、護衛艦の観閲式にも参列する。このとき、元海上自衛隊士官である著者はフォール卿から依頼を受け、すでに亡くなってはいたが、工藤艦長の消息を尋ねることになる。著者は数か月かけて、工藤艦長の墓地の所在地などを探りあてフォール卿に報告する。この間著者は当時「雷」の乗組員で存命の三名の人たちとも接触、工藤艦長の人となりと救助時の詳細を聞くことができたのである。これが著者が本書を執筆する動機となった。その三名とは、航海長の谷川清澄元少佐、艦長伝令の佐々木確治一等水兵、砲術手の勝又一一等水兵である。この人たちの記憶は鮮明で、これによって救助当日の状況は正確に再現されることになった。また、フォール卿へのインタビューと、工藤艦長への献辞が掲げられている自伝『マイ・ラッキー・ライフ』が証言を補強している。
(書籍紹介より引用) (小ブログで一部補正)
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美徳ゆえに「語らず」
英国に戻ったフォール氏は、後にフォール卿となり、有能な外交官として活躍。晩節に差しかかった1996年に、自らの人生を一冊の著書にまとめた「マイ・ラッキー・ライフ」。その1ページ目には、謝辞を1人1人の関係者に述べ、そして、この本を、「私を救ってくれた日本帝国海軍の工藤俊作少佐に捧げる」と記している。
フォール卿の著書 (動画より)
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来日した理由についてフォール卿は、「自分が死ぬ前に、誇り高き日本人である工藤艦長に、是非、お礼を言いたくて日本を訪れたのです」と。また、「この出来事は、日本人に対して私が持つ印象にずっと影響を与えました。深い尊敬と感謝の念を抱いています」と。だが、工藤俊作氏の消息はつかめなかったという。後に、同氏は1979年1月4日に生涯を閉じていたことが判った。
工藤氏はこの日の出来事を家族にも語らなかった。その理由について、別の艦船の艦長になった後に「雷」が敵の攻撃で撃沈して全員が死亡。多くの部下と戦友を失った悲しみから終戦後は戦友と連絡を一切とらず、余生を過ごしたため、との指摘がある。ゆえに、一言も触れることは無かったとするものだ。だが、当時の「雷」の航海長を務めていた谷川清澄氏は、「(工藤氏ならきっと)俺は当たり前のことしかやってないんだ。別に、褒(ほめ)められることでもない、と言ったと思います。そういう人でした」と証言している。
語らなかった真の理由は、やはり美徳ゆえに語らず、との工藤氏の信念にあったと謂えるのかもしれない。
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■ 参考動画
【日本の武士道 1】【日本の武士道 2】【日本の武士道 3】
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追稿: 心によみがえる李登輝氏の日本訪問
時局にいたり、昨年(2007年)5月の李登輝氏(台湾前総統)の訪日(帰日と謂うべきか)が思い出されてならない。李氏におかれては、台湾総統退任後初の東京を訪問。滞在期間は同5月30日から6月9日までの11日間となった。良き旅行をなされたと同時に、同氏を敬愛する多くの日本国民にとり、相互の心に残る訪日となったことと思う。
李氏の訪日前には、同氏を台湾独立勢力とみなす中国共産党の騒音が猛々しかった。云く、『台湾は中国の領土の不可分の一部だ。中国は自国への、いかなる国によるいかなる形の内政干渉にも断固として反対する』(姜瑜報道官・5月29日)。また、『台湾独立勢力に活動の舞台を与えるべきでない』(李維一報道官・5月30日)等々。自らが侵略者であることを棚に上げ、何をかいわんや、と指摘すべき状況があった。
しかし、李登輝氏は穏やかな日々を日本で送られた。限られた日程の中にありながら、しかし、松尾芭蕉が歩を進めた奥の細道行で折々に心豊かな句を詠み、足跡を刻まれたのであった。
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必読の良書!
先年に紹介した一冊だが、敬愛の思いから、小稿に再び紹介させていただきたい。李氏は、日本の台湾統治について 「日本統治は台湾にとって大きな転換期。日本が残した教育と人材は、戦後の台湾工業化の基礎になった」(産経新聞 2005年8月5日)と述べている。
また、戦後の台湾についても、「日本人は蒋元総統の『以徳報怨(徳をもって怨みに報いる)』との言葉と戦後 賠償の放棄に感謝するが、(国民党政権が戦後)台湾で接収した日本時代の資産は工業インフラや不動産など、賠償以上の価値があった」(同紙)と言及。
「日本人よ、自信を持て!」(要旨)と。筆者が学生(院生)時代に面倒をみた研修生(台湾から来日)たちの、「おじいさん」「おばあさん」の世代から折々にいただいた言葉である。
台湾のシニア世代には、皇室と日本人を敬愛する人が多数おられる。統治時代とはいっても、日本の統治が、決して、特定国が難癖をつけるような“植民地支配”ではなかった証左であり、同国と日本とが、力を合わせて築いた遺産であることの証明である。すでにご存知のことと思うが、李氏の一冊を紹介する。
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「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは
李 登輝 著
単行本: 318ページ
出版社: 小学館 (2003/03)
ISBN-10: 4093873704
ISBN-13: 978-4093873703
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【目 次】
第1部 日本的教育と私
第1章 世界に目を開いてくれた先哲の教え
第2章 新渡戸稲造との出会い
第3章 新渡戸稲造、国際人への旅立ち
第2部『武士道』を読む
第1章 道徳体系としての武士道
第2章 武士道の淵源
第3章 義
第4章 勇・敢為堅忍の精神
第5章 仁・惻隠の心
第6章 礼
第7章 誠
第8章 名誉
第9章 忠義
第10章 武士の教育および訓練
第11章 克己 など
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書評紹介
(日経BP企画)「武士道」解題 ノーブレス・オブリージュとは
台湾前総統で旧制の日本教育を受けた著者は「日本の良いところや、精神的価値観の重要性を人一倍よく知っている」と言う。新渡戸稲造が100年余り前に著した『武士道』を解説しながら、日本人が忘れかけている高い精神性を取り戻そうと訴える。
新渡戸は「義」を重んじ、「忠」を尊び、「誠」をもって率先垂範するといった武士道が、民族固有の歴史や風俗、仏教や儒教、神道などと深く関わっていることを記した。著者は1000年もの長い間、日本に浸透し、世界に誇るべき精神的支柱だった武士道や「大和魂」を、戦後、日本が意識的に踏みつけてきたことを批判する。
日本再生を期す今こそ、武士道の規範を徹底的に再検討し、実践に移すべきだと熱く説いている。(日経ビジネス 2003年5月5日 日経BP企画の書評より)
(以上、引用)
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【筆者記】
「武士道」と讃えられる工藤艦長の英断は、日本人の底力から生まれたものと謂えよう。漂流する英国兵を発見すれば、戦場ゆえに、その場で掃討する機会でもあった。また、掃討は、戦争ゆえにどの参戦国にも見られた光景である。強敵には刃(やいば)を抜く。しかし、目前で弱り果てて窮している者を討つ。それはフェアなことではなく、武士道に反する。「漂流者を全員救助せよ」とは、まさに、工藤艦長が自らを制し、武士道の心から発した命令であったのかもしれない。
一方、中国共産党による強大な圧力に屈せず、跳ね返し、台湾に民主主義を確立した李登輝氏の存在は、現今の国思う政治家がいかにあるべきか。その道標とすべき、生きたお手本と謂えるのではないか。新渡戸稲造氏、後藤新平氏の武士道の魂を、あらためて、我々の世代に伝えてくれた李登輝氏に感謝を捧げ、益々のご健勝を願う1人である。
この「みどりの日」に、幾多の先人の功に思いを馳せ、先人の業績に敬意と感謝を捧げ、敬礼を捧げる。そして、日本は毅然と在れ。この願いを佳き日に託し、国民の1人として祝詞を申し上げる。短稿にて
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読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝しています。ここに、新たに記事をアップさせていただけたことを有難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメントに感謝します。みなさまとともに最良の国思う活動の 1年にしてまいりたく思います。
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2007/05/18 00:00 カウンター設置 (ブログ再始動の翌年に設置。数値はPCカウントのみ累算です。機能上、携帯アクセスはカウントされていない状況です)
Author:博士の独り言
震災のお見舞いを申し上げます
平成23年3月11日、東北、北関東太平洋沖を震源として発生した東日本震災により、甚大な被害に遭われた被災地のみなさまに心よりお見舞いを申し上げます。
震災の犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げ、被災地の早期復興と、被災者のみなさまが一日も早く生活と安寧を取り戻されることを心よりお祈りいたし、国家の恢復を念願いたします。
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みなさまにはお忙しい中、日々新たなご訪問をいただき感謝します。特殊政党とカルトに騙されない、毅然とした日本を築いてまいりましょう。「博士の独り言」は、いかなる組織、団体とも無縁の日本人発行の国思うメルマガ、およびブログです。
ブログ命名の「独り言」の意味には、ごく普通の日本人の独りが、ごく当たり前のことを自らの言で書く、との意味を込めています。この意義をもとに、特定国からパチンコ、カルト、政党、メディアにいたるまで、それらの国害という「国害」を可能な限り網羅、指摘してまいりました。ゆえに、(=イコール)これらの応援を一切受けず、ごく普通の、私と同じような立場のみなさまから応援いただいて来た国思う諸活動に他なりません。
「個」の足場の弱さはありますが、たとえ困難や不当な圧力に遭おうとも、絶えず前へ進み、一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。
事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。国害と指摘すべき事柄に取り組む博士の独り言に応援をお願いいたし、辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。