2008/10/30(木) 23:53:02 [国内時事]
神田高校長の判定は「ごく当然」
神田高校長、異動へ
不適正な合否判定があった問題に絡み、県教育委員会は29日、神田高校の淵野辰雄校長を11月1日付で総合教育センター専任主幹に異動させると発表した。朝日新聞 10月30日朝刊記事(38面)ようり参照のため引用/写真はFNN 10月30日付報道記事より参照のため引用
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「人は外見じゃない」には2つの意味が存在
神田高校(神奈川県)の入学試験の面接で、受験生の外見チェックによる合否判定があった。それが不適切だ、と問われて同校校長が異動となった。博士はどう思われるか、との問いを読者からいただいた。お声がけに感謝する。こうしたケースは、津々浦々で今後も有り得ることかもしれない。ご参考にはならないかもしれないが、あくまで、筆者の意見として小稿に少々申し述べたい。
朝日新聞朝刊記事(切り抜き)(10月30日朝刊)(38面)
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一般に、人は外見で判断してはいけない、との考え方がある。今回の、表題に報じられる事例でも、それは同じである、との声も少なからず有ったようだ。だが、人の「外見」には少なくとも2通りあると思う。1つは、その人が生まれ持って来た容姿や身長など、一般的に、その人の、変えようのない「外見」である。整形外科などの方法があるではないか、といったご意見もあろうかと思うが、それはまた別議論の事項なので、ここではさておき、ご確認いただきたいことは、「外見ではない」と第三者に諭すべきは、この変えようのない「外見」を謂う。人は中身だ、と謂えるケースがここにある。
もう1つの「外見」とは、服装や態度を指す。この意味での「外見」は、その人努力によって、如何様(いかよう)にも変えることができる。とりわけ、社会では、初対面の人ほど、「外見で判断」する。先ず、外見でその人を観る。観てないふりをしても、当人を知らない「相手」からすれば、「外見」からその人の認識に入る。これはごく「自然」な認識に違いない。それゆえ、まっとうな親や学校の先生であれば、子が成長するにつけ、その子が成長して大人になった時、社会人になる時には、「外見」で他人に余計な誤解されないように、回り道しないで済むように、と。身だしなみやマナーを教える。これもごく「自然」にあるべきことに違いない。
以って、高校入試の面接は、その子にとって、あるいは、初めての「社会経験」とも謂える。義務教育の年齢を卒業して、年齢的に、上述の未来へと通ずる第1歩を踏み出す。それが高校入試の面接である、と位置づけて差し支えないだろう。ゆえに、事前通知の有無にかかわらず、当人なりに服装や態度を正して臨むのは当然のことだ。その当然のことを、入試面接でチェックしてまた「当然」なのである。この次元で、「人は外見ではない」と面接官を批判する親や教師がいるとすれば、その人たち自身が、この社会でごく「当然」の筋道すら理解していない、と指摘できるのである。
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「一人で生きている」と思うな
上記のケースで、同校校長の判断に批判を向ける人々の中には、往々にして、人の在り方、その基本について認識が整理できていない人が多い。いわば、「1人で生きている」と錯覚しているケースが目立つ。ゆえに、権利の主張ばかりを先行させる。
だが、よくよく考えてみれば、たとえば、1個の素粒子があらゆる空間とその条件に支えられて存在するように。もっと身近には、電車に乗る切符1枚を買うにも、また、電車で移動する、行き先でお金を支払って買い物をする、とする。この場合も、その人の行動、手にするお金までの、その一切が、その人1人では成し得ないものである。すなわち、電車を動かす人々や、そのための電気を起こす人々が存在して、働いて支えているからこそ、切符を購入して、電車で移動できる。あるいは、切符や買い物をするために手にするお金すらも、働いた報酬として給与を振り込んでくれる会社や機関があってこそ、手にできるのである。
以上は瑣末な喩えで恐縮だが、「1人」の存在を、不特定多数の人々が支えている。また、その不特定多数の中の1人1人についてもまた同様であり、それをまた不特定多数の人々が支えている。さまざまな矛盾はあるけれども、それは別次元での議論とさておき、基本的には、人と人とがこのように支え合って、それぞれを存在させている。それが社会の、ひいては国を成り立たしめる「基本形」と認識すべき、と筆者は常々考える次第である。ゆえに、先ず、自身の存在を成り立たしめてくれることに感謝し、さて、その自身の立場、特性を通じて、この社会を、ひいては国に何か恩返しできないか、と1人の人間として考え方を培う。そこに親を思い、家族を思い、恩師や他人を思うデリカシーやマナーが生まれて来る。ひいては、相応の国思う心が育つものと思う。
いわゆる、モンスター○○等と呼ばれる人々は、この「人」としての基本、社会の中で、実は自身が「成り立っている」と謂う人間の基本に立ち帰るべきではないのか。子に向けてよく聞こえて来る「1人で大きくなったと思うな」(要旨)との叱り声は、同時に、その父兄にもまた人の子である以上は同じことが謂える。いわば、鏡に向かって云っているにもまた等しい、と謂えるのかもしれない。
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【筆者記】
自らが存在できるのは、両親、祖父母のお蔭であることを。専門を持って生きることができるのもまた、数々の恩師のお蔭であると感謝している。そして、その自身も、息をしているこの国土も、また言葉や飯も。幾多の先人の恩恵があってのことと感謝している。国思う強い心を支えているのは絶えぬ感謝の念であり、さればこそ、拙き身ではあるけれども、日本は毅然とあれ、との願いも果てなく続く。我が身に受ける両親、祖父母、幾多の先人の恩恵を、未来の、次世代に申し渡したい。以上、瑣末ながら、筆者の小考を報告する。
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2007/05/18 00:00 カウンター設置 (数値はPCカウントのみ累算)
Author:博士の独り言
いかなる組織、団体とも無縁の日本人発行のメルマガ、およびブログです。初期のように、氏名とプロフィール、写真を掲載すべきと考えていますが、迫る身の危険回避の意味からも自重すべし、との筆者をよく知る友人らの制止により、現在は「博士の独り言」として活動しています。活動自体も全く無収入です。