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“牧野明氏の証言に関する記事”
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毎日新聞 2006年10月19日 東京朝刊

生体解剖:「フィリピンでも」 84歳元衛生兵が証言、住民30人以上が犠牲

フィリピン・サンボアンガの地図 ◇大戦末期

 第二次大戦末期、フィリピン・ミンダナオ島で、負傷兵の治療などに当たっていた元上等衛生兵曹の牧野明さん(84)=大阪府枚方市=が、仕えていた軍医とともに現地住民を生きたまま解剖したことがあると証言、その体験を基に、近く語り部活動を始める。解剖は軍医が衛生兵の医療実習として個人裁量で行ったとみられる。戦時中の生体解剖は旧満州(現中国東北部)の生物戦部隊「関東軍731部隊」が中国人に行った例が知られているが、フィリピンに関する証言は初めてという。【久木田照子】

 牧野さんは海軍第33警備隊の医務隊に所属。1944年8月から同島のサンボアンガ航空基地で負傷兵の治療に当たった。医務隊は軍医(大尉)を筆頭に、補佐役の牧野さんら三十数人がいた。

 牧野さんによると、解剖は同年12月から、米軍のスパイと疑われた住民(捕虜)に対し、基地内の病院で行われた。軍医の指示を受けながら2人で執刀。麻酔をかけた上で、10分〜3時間かけて、手足の切断や開腹手術などをした。解剖中は部下が助手や見張りをした。

 米軍上陸直前の45年2月まで3日〜2週間ごとに行われ、犠牲者は30〜50人に上るという。遺体は部下が医務隊以外に知られないように埋めた。

 牧野さんの部下だった80代の男性は「解剖には立ち会わなかったが、(何が行われていたかは)仲間に聞いて知っていた」と話している。45年3月に米軍が同島に上陸後、病気や飢えなどで医務隊も大半が死亡し、軍医は自決したという。

 牧野さんは「命令に逆らえず、むごいことをした。戦争体験者が減りつつある今、自分には戦争の真実を伝える責任がある」と話している。

 ◇「すまんな」震える手でメス

 牧野さんが戦後61年間、家族にも明かさなかった体験を語ることにしたのは、「せめてもの償いに戦争の本当の恐ろしさ、むごさをきちんと伝えたい」との思いからだ。

 牧野さんによると、同基地に配属されてから約4カ月後、軍医に命じられて捕虜の男性2人を連れて行くと、「これから解剖する」と告げられた。2人に服を脱ぐよう命じ、手術台に大の字に縛りつけ、顔に布をかぶせた。通常手術の2倍のエーテルをかがせると、5〜6分で意識を失った。

 「むごいな、すまんな」と心で叫びながら、軍医に習い、震える手で腹にメスを入れた。18歳ぐらいの女性2人を解剖したこともあった。「必要な実習なのだ」と自分に言い聞かせ、感覚をなくそうと努めたという。

 731部隊を研究する常石敬一・神奈川大教授(科学史)は「フィリピンでの生体解剖は初耳。見通しの立たない戦争末期のモラル低下を象徴している」と指摘している。

(毎日新聞 2006年10月19日 東京朝刊より転記)

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共同通信:2006年11月25日

旧日本軍が比で捕虜の生体解剖 元海軍衛生兵が初めて証言(共同通信)

 
太平洋戦争末期に、旧日本軍がフィリピンのミンダナオ島で行った捕虜の生体解剖を、元海軍衛生兵の牧野明さん(84)=大阪府枚方市=が25日までに証言した。戦時中の生体解剖は旧満州(中国東北地方)の731部隊や九州大病院のケースが知られているが、フィリピンで行ったという証言はこれまでなかったという。戦争体験の語り部として、悲惨な歴史を伝えていくつもりだ。 

(共同通信:2006年11月25日19時15分 より転記)
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