2009/01/11(日) 20:24:06 [メディア/意見書]
今日も、朝日の常習記事
「在日」の鏡に私が映る
昨秋に出版された一冊の本。編者の一人、東京大大学院教授・姜尚中(カンサンジュン)(58)は巻頭で問いかける。≪在日一世と聞いて、多くの日本の人々はどんなイメージを持つだろうか。そもそも、そんな言い方で表される『異邦人』がいることすら知らない人々が多いのではないか≫「在日とは何なのか」。日本という異郷の片隅で生きてきた52人の半生を、聞き書きの形式でつづった新書『在日一世の記憶』に貫かれたテーマだ。朝日新聞記事(切り抜き)1月11日朝刊(31面)より参照のため抜粋引用/写真は朝日新聞の同記事。参照のため引用
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日本人が「差別」の加害者であるかに植え付けるトラウマ
小稿に、資料の1つとして、朝日新聞の記事を参照する。「在日韓国・朝鮮人」については、小ブログでも触れてきたテーマの1つである。日々新たに訪問くださる多くの読者は、主旨を理解いただき、認識を共有されていることと思う。学校やメディアによって、あたかも、これらの人々が、日本社会による偏見、差別の犠牲者であり、我々日本人が加害者であるかのような先入観を植え付けられて来られた方が少なくないことと思う。さらに、表題の新聞のように、トラウマをさらに上塗りするかのような記事、報道がなされている傾向にあるが、これらは真実に事即したものとは謂えない。いわば、メディアの多くが、日本人を内面から弱体化せしむるかの「精神侵略」の「具」と化している点にお気づきいただきたいのである。その願いがあり、時折、指摘稿を報告させていただいている。
先ず、在日朝鮮・韓国人は、外国人であり、これらのメディアや「市民」団体、ひいては民団、朝鮮総連が主張するところの「マイノリティ」には該当しない。日本国内では、たとえば、在日ドイツ人、在日アメリカ人、在日イタリア人もまた、外国人であり、「マイノリティ」ではない。むしろ、「マイノリティ」と呼べば失礼にさえ値する。在日韓国・朝鮮人も、いずれの国籍を持つ在日外国人も、同様に、「外国人」なのである。また、国籍によって、在日フランス人、在日スペイン人と呼び分けると同様に、「在日韓国・朝鮮人」と呼ぶこと自体は「差別」ではない。むしろ、いかなる国にあっても存在する当該国の国民と外国人の「区別」と同義に、日本でも、在日オーストラリア人と同じく在日韓国・朝鮮人と認識するのである。それゆえ、日本人と呼ぶことが当然で、韓国人、北朝鮮人と呼ぶことが「差別」とは謂えない。
国民と外国人の「区別」。これは重要なことで、むしろ、外国人の存在、人権を守る上で、無くてはならない「区別」である。なぜならば、不測の事故や災害や、紛争、戦争などに巻き込まれた場合などを含む、根本的な救済義務はそれぞれの国籍本国に帰属するからである。たとえ、居住する国が日本であるとしても、また、一時的な救済措置、人道措置は講ずるとしても、根本的な救済義務はそれぞれの本国にあり、いち早くそれぞれの本国に通知するためである。そのために、現下では「外国人登録者証」の携帯を義務づけているのであって、「差別」のためではない。ここに、「区別」すべき意義が存するのである。
以上は、関わるニュースをご覧になる上でも、また、「おかしな」報道に惑わされないためにも、基本的に有って然るべき認識と謂えよう。
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郷に入っても郷に従わず
ごく当たり前のことだが、日本人も外国へ行けば、その国では「外国人」になる。行く先々の国で、外国人として、どのように評価されるのか。それは、その国での在り方や業績、人間性などによって評価が分かれよう。良くも悪くも、外国人としての日本人の双肩にかかるもの、と謂えよう。同様に、外国人として、日本に住む在日韓国・朝鮮人も同様であって、結果として付いてくる評価の良し悪しは、あくまでも、当事者に因るのである。たとえば、郷に入れば郷に従え、との言葉が日本にはあるが、外国人として外国に住む日本人が、その国を愛し、誠実に生き、少なからず感謝される存在になれば、相応に好かれ、良い評価を得られるであろう。もしも、その逆であれば、評価も相応であるに違いない。
同様に、外国人として、在日韓国・朝鮮人が住む日本を愛し、社会貢献すれば、それなりの評価を以って親しまれ、歓迎されていたに違いない。だが、現実は、果たしてどうであったのか。ここに問うべき点がある。表題記事に登場する、大阪の生野区に住む老婦人(「在日1世」)の場合だが、記事に云く、「ハルモニはどうして、ふるさとの済州島から日本に渡ってきたのだろう」と記されている。どうして、済州島から渡って来たのか。その事情について、すでにWeb上では記事が消失しているが、昨年(2008年)3月21日付の毎日新聞には、このようにあった。この大阪・生野区の「在日1世」について、云く、「80歳を超える在日1世らがよもやま話に花を咲かせ、みんなで故郷の味を楽しむ。ほとんどが済州島の出身者だ」と。また云く、「住民の約24%を韓国・朝鮮籍者が占める同区。その形成は、済州島との関係抜きには語れない」、と前置きしていた点が記憶に残る。
いわゆる、1948年(昭和23年)4月3日に、済州島では「4.3事件」と呼ばれる混乱の時期があった。同島では、左翼勢力が蜂起し、それをきっかけとして島民約3万人が「同胞」の手によって虐殺された、と伝えられている。その混乱から逃れるために、日本へと渡って来たのである。それらの人々が日本に残留し、現在の生野区の「在日1世」の 「ほとんどが済州島の出身者」(毎日新聞)ということになり、この外国人の集団が主張するところの“強制連行”には事即していないことが判る。「祖国」の戦乱を逃れるために、異郷の日本の地で暮らすことなった、
その経過は気の毒ではあるが、しかし、仮そめにも、自らの生命保護の避難先であった日本に、苦労して生きて来たことの恨みを表すかの、情状の哀惜に訴えるスタンスはいかがなものか、と筆者は疑義を呈する次第である。これが、外国人としての、在日韓国・朝鮮人が愛されない1つの要因であろう。苦労は、日本人も同様であった。大変な時代であったことが史実から測り知れるのである。
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朝日新聞の怪
そもそもが、現下の朝日新聞は、毎日新聞と同様に、こうした記事を好むかのように掲載するが、しかし、これらの外国人がどのような事情を背景に日本に渡来したのか。また、日本がどれほどの恩典を付与して来たのか。それらの事実については触れない。時折、毎日新聞と同様に、曖昧な中に“強制連行”を記事に記し、あたかも、在日韓国・朝鮮人1世が、悉くその事情によって連れて来られたかのように、常習的に記している。
同紙が、中国共産党の機関紙「人民網(人民日報)」の提携紙となってからは、戦後はるかな時間を経て編み出した捏造記事は枚挙にいとまがなく、70年代の“教科書問題”をはじめ、先稿に触れた“南京虐殺”、“従軍慰安婦”の虚構を、80、90年代に編み出しているのである。一部の誌面報道では、現下は、部数減少による経営難の兆候にあるかに記されている。どうせなら、この際、毎日新聞と同様に、いっそ、日本社会とお別れを継げていただいた方が、世のため人のためではないか、と。その率直な感慨を強くする次第である。
新潮誌面(切り抜き)1月15日号(P128)
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■ 主な関連記事:
・【資料】生野区「在日1世」一考
・韓国夫妻「不法残留20年」
・在日3世「チョウ・ソンハさん」一考
・韓国籍「不正受給」一考
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【筆者記】
官公庁や公的機関の多くが、斯様な新聞を購読していれば、やはり、知らずのうちに、気づかずのうちに「侵蝕」を受けるであろう。ネットの有志、読者の多くは該当しないのかもしれないが、一般の多くは、概して、この点で免疫性が高くない。侵蝕メディアを明らかに社会の病巣と位置づけた、根気強い「仁義なき啓蒙」が今後も必要であろう。一般的な新聞離れもあるかとは思うが、しかし、ネットの有志の積年の啓蒙により侵蝕新聞の部数は減少。また減少。先行きも見えて来たようだ。以上、紙面記事を参照し、小考を報告する。
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【お知らせ】
この1月12日に、成人式を迎えられるみなさまをお祝いし、小ブログから、国思う特製汁粉の作り方を披露する。「十勝あずき」を使っても1杯の原価は低く、しかし、味は「一流」との賞賛をいただく秘伝である。国思う汁粉で心温かな新春を。お楽しみに。
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お汁粉・・・食べたいす
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読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝しています。ここに、小稿を新たにアップさせていただけたことを有難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメント、メッセージをいただき感謝します。一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。
日本は毅然とあれ!
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2007/05/18 00:00 カウンター設置 (数値はPCカウントのみ累算)
Author:博士の独り言
いかなる組織、団体とも無縁の日本人発行のメルマガ、およびブログです。初期のように、氏名とプロフィール、写真を掲載すべきと考えていますが、迫る身の危険回避の意味からも自重すべし、との筆者をよく知る友人らの制止により、現在は「博士の独り言」として活動しています。活動自体も全く無収入です。