2009/11/11(水) 20:44:15 [国籍が問われる政治家]

国際感覚乏しき政治家
独善的なのは「小沢一郎氏」 

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小沢氏「キリスト教は独善的」 仏教は称賛
 民主党の小沢一郎幹事長は10日、和歌山県高野町で全日本仏教会の松長有慶会長と会談後、記者団に宗教観を披露した。この中で小沢氏はキリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明。イスラム教については「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べた。国政に影響力を持つ与党の実力者による批判発言だけに、波紋を広げる可能性がある。JP 47NEWS (Web) 11月11日付記事より参照のため抜粋引用/写真は「日本の小沢氏:キリスト教は「独善的」‐メディア(に語る)」と伝えるロイター通信11月11日付記事(Web)より参照のため引用

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小沢一郎氏の弱点の1つは「国際感覚の欠如」

 明年の参議院選挙を視野に入れ、仏教界の支持を広げようとしてのことか。小沢一郎氏(民主党幹事長)が、全日本仏教会・会長を訪問して会談。その後、記者団に語った氏独自の「宗教観」が波紋を投げかけたようだ。記者団に語ったと記される、「キリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明。イスラム教については「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べた」(JP 47 NEWS)、とのそのくだりの概要が記されている。

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JP 47NEWS (Web) 11月11日付記事
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 その後に、「公式に謝まった(He later apologised publicly)」と付記しながらも、小沢氏の同発言を大きくあつかったロイター通信の記事(11月11日付)が印象的である。内容は、ほぼ共同通信の配信と同じで、小沢氏の「仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」とのは発言までを取り上げてはいるが、一般に、「政治家は、個人の信条に関する所見は公(おおやけ)の場では避ける傾向にある」、と釘を刺している。いわば、宗教に国々をあてはめたかの批評は独善にもなり、政治家が公的に発言すべきではないことを示唆している。国際状況からすれば謂い得ていよう。

 表題の発言は、全日本仏教会・会長との会談の中で私話として出た事柄ではなく、その後の記者団に語った内容とあれば、日本の政治家の発言としてあつかわれることは必至だ。さらに、現下の政権政党を実質的に掌握する人物の発言として、それが、あたかも日本の見解であるかのように重視される。その上での、表題(写真)のような海外の反応、と認識すれば事の次第が判りやすくなる。


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ロイター通信付記(Web)
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 こうした視点は、日本の政治家に対してのみならず、各国の、それぞれの国での立場に重きを持つ政治家の発言に対しても同様で、とりわけ、宗教に関する批評に対して国際環境は非常に敏感である。そのことをよく知っておくべきだが、小沢氏の言資にその様子は拝見できない。むしろ、上記の軽々な発言が、小沢氏の「国際感覚」の欠如を物語る1つとなった、と。そう認識して差し支えない。小沢氏の大きな弱点の1つはまたこの「国際感覚」の欠如である。

 たとえば、同氏が主張する国連中心主義には、肝心な日本が有すべき外交観、外交戦略が欠如しており、これを主張する同氏の政治手腕には、これらの肝心な要素が欠落している証左と指摘できる。日本は独自の外交戦略を持たずに国連に追従していれば良し、とする転嫁主義に他ならない。かの、日米安保は第七艦隊が常駐していればそれで十分、とする発言にせよ、金を持って北朝鮮に何人か返してください(要旨)とする発言にせよ、である。いずれも、小沢氏の「国際感覚」の乏しさを証するものであり、斯様な政治家が、日本の政界での影響力を強めるほどに、政治は「国益」から離れて行く。こう認識して差し支えない。
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宗教に敏感(=イコール)国際感覚

 これは、あくまで筆者の独見に過ぎないのかもしれないが、一部の例外を除けば、概要ながら、国際社会の流れを観る上で、また、各国のスタンスを認識する上で、不可欠な重要要素が実は「宗教」である。宗教は時に紛争の要因ともなり、国家間の対立や和解の要素ともなっている。言い換えれば、国々の「宗教」が、それがどのようなものであるか。そこを先ず認識すれば、国々の国家観の綱格(こうかく)とその方向性もまた観えて来る、と申し述べても過言ではないだろう。いわば、各国はその綱格の上に相応の外交観を持ち併せている。それゆえに、各国は「宗教」に対しては非常に敏感でなのである。

 国思う若いみなさまには、若いほど、この点を重々理解しておかれると、将来において必ず役立つ。如何にして、日本の国際理解を正しくなさしめることが出来るか。また、日本の意志を正確に伝えることが出来得るか。そのために必要な視点を養うことに通ずる。すなわち、我々も宗教に対してむしろ可能な限り「敏感」にあるべきで、「私(し)」がそれを信ずる、信じないに関わらず、公の場に臨むようなことがあれば、国々の国家観の綱格のもととなるそれぞれの「宗教」に対して、尊重すべきは尊重し、とのポジティブなスタンスで先ず臨む。その素養を培っておくことが、(=イコール)国際感覚の醸成に通ずる、とも謂えるのではないか。
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迂回献金や資産形成に“成功”しても

 この視点から小沢氏の発言を観れば、その基本的に在るべき資質を感じ得ない。一国の“重要”な立場にある政治家として認識される言資がさも軽々しくあれば、その発言が、その国の国民へのあらざるべき攻撃や誤解につながることもあり得る。この点が重要である。

 西松建設の違法献金事件や公金流用の資産形成疑惑、選挙政治では手腕を存分に発揮でき得ても、それらの一切は国益とはかけ離れており、まして、斯様なスタンスでは新時代を築くべき政治家では到底あり得ない、と。以上を、ふと想起させる小沢氏の発言に映る。
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【筆者記】

 宗教はそもそも専門外であり、苦手な身に過ぎない。だが、国々に住む度に、信ずる、信じないは別として、無い頭で少しずつ勉強させていただいた記憶がある。瑣末ながらも、その経験から申し得る教訓の1つが上記の「国際感覚」である。宗教とはそもそも何か、カルトとはどう異なるのか。その基本を勉強しておくことが、身近にはカルトに騙されず、また、実は、その素養乏しき国思わない政治家、政党に騙されない素養になる。ひいては、国々の国家観への認識にも通じ、翻って、日本のあるべき針路の「傍証」とも出来得る。そのことが実感できた次第である。内容稚末ではあるけれども、以上、記事を参照し、雑感ながら小考を報告する。
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路傍の花(筆者)
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 読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝します。ここに、新たに記事をアップさせていただけたことを有り難く思います。「国思う人は国士であり、若き国士は国の未来の財(たから)である」。少年時代に、国思う議員殿からいただいたこの言葉を、特に、この夏、日の丸を掲げ、日本を守るために毅然と立ち上がった若いみなさまと共有させていただきたい。そして、急逝した国士の志を国思うみなさまとともに毅然と引き継いでまいりたく思います。一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可 欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します  
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