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2013/05/03(金) 18:55:00 [国思う「質疑応答」]

「旅に出よ」の意味は?

 【読者】 以前のメルマガで、島津博士が御尊父から「汝は旅に出よ」と言われたということを書いておられました。博士の場合の「旅に出る」とはどのようなことですか、ご教示ください。

(以上、読者よりいただいたご質問より)
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十八歳の時から

 懐かしい言葉でもあります。幼い頃やんちゃであった。そのため、特に、三男の私に言われたものと記憶しています。意味の一つは「親離れ」であり、身への自立独歩の養い。もう一つは、可能な限り世界を観て学べ。汝の「人」としての素養、視野を大いに培えとの教示であったと自覚しています。

 遠地の学部に進学する時(十八歳)の時が「旅に出る」入り口であったと。そう思います。進む学校から自ら選んで受験し、下宿先も自身で決めました。その後も同じで、院への進学も自ら決めました。炊事、洗濯、掃除から生活のあれこれ全般にいたるまで自らの手で賄ったわけです。

 院時代の終わり頃、院の入試の試験管を務めたことが有りました。心情は理解できるのだけれども、試験に臨む22歳~24歳の受験生の中に、数名でしたが親御さんがついて来ておられた。ごく率直に、それらの姿が私には「奇異」に映ってならなかった。そうした思い出も有ります。

 就職の途を選びましたが、その時もコネや縁筋を一切頼らずに試験、面接を受けに行きました。決まってから「・・ということで」と親に手紙を書きました。そのような次第で、職責のため諸国へ赴任する際も、今で謂う特亜にだけは行きたくなかった。その意志を貫きました。無論、語学も独学で準備しましたし、赴任先でもすべて自活でした。
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身に迫る経験が視野拡大に役立つ

 運転する数キロ先に巨大竜巻が迫ったり、熱砂の砂漠でサソリ(幸い無毒の種類でした)に刺されたり、紛争に接した地域で人が銃弾に倒れる姿を目の当たりにしたり、などなど。「さて、どげんすっか」と思った瞬間も数え切れないほど有りました。その分、危うきに接しても冷静でいられる視野を身に培えました。それらが今も思惟と行動の糧になっています。

 蛇足ながら、それも一つの生き方でしょうから決して批判するつもりは有りませんが、しかし、世には、たとえば、齢にして三十、四十過を過ぎても親御さんに飯を作ってもらい、洗濯をしてもらい。自負し得るものは己の持ち物という。さて、肝心な「人としての中身」はいずこに、と問いたくなるような人を時々見かけますが、大人になる以前に培っておくべき人の自立機能を自ら放棄してしまっておられるかに映り、その意味で気の毒に思います。
 
 至宝をいただく敷島の臣民たり得よう、国を護ろうと志す人があれば、楽な途よりは、進んで身を切磋する途を常に選ぶ。孤独ごく当然あり、しかし、良い事はその「一人」から始まる。その気概が有って良いのではないかと思います。

(以上、島津義広より)
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日本は毅然とあれ!  

20130503002  
敷島の桜花 (本年)
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