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2007/11/25(日) 13:49:53 [歴史関連資料]


パラオの桜と英霊

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紺碧の空と海に囲まれたパラオ
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南海の親日国家

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日本の国旗を模したパラオの国旗
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 恐縮だが、小稿について、時折再掲させていただく。良識によって日本が守られ、南海の島に眠る英霊の安らかなることを願う。

 パラオ共和国(Republic of Palau)(現地では「ベラウ」と呼称)は、南北およそ640Kmに渡って散在する200以上の島々を統括した国家である。このうち9島のみに人が居住し、残りの島々は無人島である。人口は 20,044人(2006年 太平洋共同体事務局)。人口の7割がパラオ人で、残り大半はフィリピン人で占められ、支那、米国、日本などからの移住民も含まれている。
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パラオが親日国家である事由

 国内の言語は、基本的にパラオ語と英語だが、現地の年配の人々には、戦時中に日本語による教育を受けていたために流暢な日本語を話す人が多い。日本語がそのままパラオ語として使われている言葉が非常に多い。たとえば「はい」「扇風機」「大丈夫」「浴衣」「どうぞ」「大統領」等々。

 パラオは、第一次世界大戦の戦後処理、そのためのパリ講和会議によって、日本(大日本帝国)の委任統治領になった。

 当時の様子は、「コロールには南洋庁の支庁を置かれ、パラオは周辺諸島における統治の中核的な島となり、多くの日本人が移住(最盛期には2万5千人ほどの日本人が居住)した。このため、学校や病院・道路など各種インフラの整備も重点的に行われ、1920年代頃になるとコロールは近代的な町並みへとその姿を変貌させていった。また日本統治の開始にともないドイツ語から日本語による学校教育が先住民に対しても行われるようになった」(
Wikpedia)とある。


 日本統治の時代は、現地民に愛された時代であった。礼儀正しさと節度、道徳心。他を思いやる心。それらの悉(ことごと)くが、今日の民族性に引き継がれ、反映されている。現地を訪れた研究者によれば、パラオの国定教科書では8パーセント近くを日本統治時代に充てており、「日の丸の旗のもとに」との題名が付けられた章もあるそうだ。

 日本の統治時代は、パラオの歴史の中で最も輝かしく、現地の人々の心に残る時代であった。そして、パラオで今も語り継がれる「ペリリュー島の戦闘」があった。

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現地民間人に死者を出さなかった戦い

 パラオの南端部にペリリュー島がある。面積は、20平方キロメートルほどの珊瑚礁の島だが、フィリピン防衛のために重要な拠点であった。その島に、昭和19年(1944年)9月、米軍が攻撃を開始。米軍の戦力は圧倒的に勝っていた。日本軍は、守備隊が約1万2000名。だが、米軍が制海権を制空権を握り、15倍近くの兵力を投入。航空機、戦車、重火器のいずれの面でも、100倍、1000倍の軍事力をもって同島の攻撃に臨んだのである。

 米軍は「攻撃は2、3日で終了」と予測。退路を断たれた日本軍は、武器と弾薬、食料の補給路は無かった。いよいよ、9月12日に始まった米軍の攻撃。だが、日本軍はこれを持久戦に持ち込み、73日間にわたってペリリュー島を勇敢に守ったのである。10月30日には、攻撃に臨んだ「米軍海兵第1師団を全滅判定(損失60%)に追い込み、陸軍第81師団へ交代する場面も現れた」(Wikipedia)。米軍は日本軍に倍する犠牲者を出したのであった。

 しかし、戦闘が終局に達した11月24日。生き残った将兵はわずか60人足らずになっていたという。「ついに司令部陣地の兵力弾薬もほとんど底をついたため、司令部は玉砕を決定、地区隊長中川州男大佐と師団派遣参謀村井権治郎少将、飯田義栄中佐の割腹自決の後、玉砕を伝える「サクラサクラ」の電文が送られ、翌朝にかけて根本甲子郎大尉を中心とした55名の残存兵による「万歳突撃」が行われた」(Wikipedia)。

 壮絶で長い戦闘が繰り広げられたにもかかわらず、このペリリュー島の民間人には1人も犠牲者が出なかった。戦局を鑑(かんが)みた司令部の配慮により、すべての島民のパラオ本島他への移住をほぼ完了させていたからである。残った島民も疎開させるため、戦火をかいくぐるように本島へと送り出している。

 「毎日新聞」(記載年月日不肖)掲載と伝えられるが、この時の様子を記した「コラム」がネットで紹介されている。「毎日新聞」らしからぬ感動的な「コラム」だが、このような状況が実際に、随所にあったと感じ、小稿に紹介する。

遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」 
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。


やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。


それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」  
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…


船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。


しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。


(以上、引用)
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 戦闘が終わったペリリュー島は、米軍の激しい爆撃で変形していた。この珊瑚の島に戻った島民たちは、累々と散らばる日本兵の遺体に涙を流し、日本兵の墓地を作った。この墓地は島民の手によって今も整然と維持され、その英霊の遺徳が讃えられている。

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兵士の遺徳を讃える歌

 パラオに1981年に憲法が制定・発布された。この時に「日章旗」を模した国旗とともに、ペリリュー兵士の歌も作られた。ペリリュー兵士とは日本兵を意味している。題して「ペ島の桜を讃える歌」。国のために尊い命をささげ、死しても島民を守り抜いた日本兵士を桜に譬(たと)え、その遺徳への感謝をつづった歌である。

 作詞者はオキヤマ・トヨミ氏、ショージ・シゲオ氏。日本人ではなく、現地の人々である。日本を慕って止まない心。それが国民の8割以上が、姓名のいずれかに日本名を名乗る習慣となった。両氏の名前は、その事実を物語っている。

  一
  激しく弾雨(たま)が降り注ぎ
  オレンジ浜を血で染めた
  強兵(つわもの)たちはみな散って 
  ペ島(じま)は総て墓地(はか)となる


  ニ
  小さな異国のこの島を
  死んでも守ると誓いつつ
  山なす敵を迎え撃ち 
  弾(たま)射(う)ち尽くし食糧(しょく)もない


  三
  将兵(ヘいし)は桜を叫びつつ
  これが最期の伝えごと
  父母よ祖国よ妻や子よ
  別れの桜に意味深し


  四
  日本の桜は春いちど
  見事に咲いて明日(あす)は散る
  ペ島(じま)の桜は散り散りに
  玉砕(ち)れども勲功(いさお)は永久(とこしえ)に


  五
  今守備勇士(もののふ)の姿なく
  残りし洞窟(じんち)の夢の跡
  古いペ島(じま)の習慣で
  我等勇士の霊魂(たま)守る 

  六
  平和と自由の尊さを
  身を鴻(こな)にしてこの島に
  教えて散りし桜花
  今では平和が甦る

  七
  どうぞ再びペリリューヘ
  時なし桜花(さくら)の花びらは
  椰子の木陰で待ち佗(わび)し
  あつい涙がこみあげる    


  八
  戦友遺族の皆さまに
  永遠(いついつ)までもかわりなく
  必ず我等は待ち望む
  桜とともに皆さまを


(以上、詩文引用)
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 パラオには桜が無い。だが、現地の人々は、当時未だ見ぬ桜の美しさを日本人の美徳と尊敬し、憧れの念を桜に譬えて慕っている。

 つぼみが膨らむ開花前の健気。咲き始める華麗さ。満開の美しさ。そして、いさぎよく散り行く誉れ。

 今も珊瑚の島に眠る英霊のご冥福を心よりお祈し、小稿を捧げる。
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【筆者記】

 パラオの国旗は、太平洋に浮かぶ月を象(かたちど)っている。なぜ「月」なのか。現地を訪れた研究者(筆者の知人)によれば、太陽(日本)があってこそ「月の輝きがある」との意味が込められているとのことだ。中心から微妙にズレている。これは「同じでは日本に失礼だから」とわざと中心をはずした、との有名なエピソードがある。

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パラオの国旗成立の理由(現地 Clickで拡大)
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 一部の他国が、捏造をもとにいかに非難しようとも、建国以来、幾多の先人、幾多の英霊がもたらした恩恵によって、日本の今日がある。先人、英霊が自らの命と引き換えに、守り育てた国土に我々は生まれ、生活している。

 そして、我々が今守るべきもの、後代に伝えるべきものは何か。その明確なる答えを、先人、英霊は教えている。

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 読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝しています。ブログが平常通りに稼動し、新たに記事をアップさせていただけたことを有難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメントに感謝します。


Comment

二回目投稿、すみません。。。

私はこれを読んで泣きました。こういう私達の祖先の『感動秘話』が、アジアにいくらも残っています。『真実』は自ずと光を放ち、中・韓がいくら日本を陥れようとも、葬り去る事が出来ませんね。本当に見事な戦いぶりであった英霊の方々に、心からの感謝とご冥福をお祈りさせて頂きます。ありがとうございました。

この神社の前には戦中は敵だったアメリカ太平洋艦隊司令官『チェスター・W・ミニッツ』の言葉でこんなことが書かれている。
 
『この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。此の島を死んで守った『日本軍守備隊』の勇気と祖国を憶う、その心根を』

●タイ ククリット・プラモード 元首相

『日本のお陰で、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている』今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体誰のお陰であるのか。

それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して、重大決意された日である。更に8月15日は、我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない』  

(12月8日 「サイアム・ラット新聞」)


いつ読んでもパラオの話は感動的で、先人英霊の素晴らしさに涙を流すばかりで現地住民の方も英霊を祭り、遺徳をしのぶと言う誇らしいことをしていただき、感謝に堪えない。

だが、我々の戦後生まれ世代は素晴らしい誇らしい英霊の行動や行為や愛国心を教えられなかった。戦後60年、反日勢力なかんずくGHQ、在日、支那人、日教組に嘘を教えられ、真実、事実を隠蔽され、教えられなかった。

そしてこれを台湾の方、パラウの方、インドネシアの方、インドの方、他国の方から知り、教えられ学ぶのだ。

教えられることは有りがたいことだが、母国、祖国の歴史や事実や真実を知らないことは恥であると思う。

それと同時に戦後60年、子供達に嘘を教え続けて日本をずたずたにした日教組と全ての反日勢力を恨みます。

ペリリュー島の戦闘でも、硫黄島と同様の激戦があったのですね。
それも、現地の人を戦闘に巻き込まれないように非難させたのも同じです。
従軍慰安婦を強制連行した軍隊ならば、このような住民を避難させるようなことも思いつかなかったでしょう。

ネットで初めて涙を流しました。

日本だけでなく、現地の人々を愛する心を
持った日本兵、そしてそれに応えてくれる
パラオの方々。

そして今一度、平和への誓いを噛みしめました。

パラオのペリリュー島のエピソードは以前にも別のところで目にした事がありましたが、今日こちらで見てまた不覚にも泣いてしまいました。
感動、もありますが、このように現地の人々を大切に想い、日本とアメリカとの戦いに、無関係の人を巻き込むことを潔しとしなかった英霊の方々を、私たちは長く「植民地支配の先兵」と誤解していました。それが情けなく、恥ずかしく、痛ましく想えてなりません。

パラオの方々が慕い尊敬している日本は、あの頃の日本人であり日本兵です。現代の私たちは、これを知っていかに生きるべきか。そう問われているようです。
パラオは偉い
恩知らずの反日国家群・中凶や朝鮮半島とは雲泥の差・日本の経済援助なければ、極貧国家群だった支那と朝鮮、こいつらの国とは、決別した方が良い。日本はきゃつらの諜報戦でやられっぱなし。はやく、総合諜報機関を設立して、攻勢しなきゃ日本の未来はない。
滅入る昨今ですが
博士、良い話題を有難う御座います。

本日、妻と神社巡りしてました。
鹿島、香取、弟橘神社、船橋大神宮と周りました。
出雲系神社と日本武尊にいわれのある社です。妻に古事記の話を説明しながらユラユラと巡りました。

帰って、博士のこのエントリーを見て以下の、文面で号泣です。

>これは「同じでは日本に失礼だから」とわざと中心をはずした、との有名なエピソードがある。

ああ、先人達は素晴らしかった。
ぺ島の桜を讃える歌
先人英霊達への思い、遺族への思い、そして今も待っていると...感動しました。
詩が今の日本以上に日本の匂いがします。魂を継ぐとはこのことですね。
遺伝子を継いでるだけでは日本人と呼べないと思います。
親日国のパラオに感謝。是非訪れたい。

博士。

涙しました・・
過酷な戦いの中でも先人達は情けを忘れることなく勇敢に異国の人間たちをも守り通した。
日本人として誇り高く生きていかなくてはならないと再確認しました。

人生という名の桜を満開にし潔く散ろうと心に誓う。
誇れる日本人に
涙が止まりません。。

なんと誇らしい先人たちよ・・・このようなエピソードを義務教育の元、道徳の時間にもっと教えていくべきです!!日の丸君が代然り、情緒教育が足りないから昨今のような悲惨な事件が多いのかもしれません。

十年ほど前、旧軍兵士がペリリューで営む民宿で一泊しました。戦中の色んな話を聞かせていただき、それまで自由や平和におぼれて甘ったれてた自分に激しく自己嫌悪したことを思い出します。両国が末永く平和でありますように。
国旗について
http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/kougi-2005-ootawara.htm
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8618/020413/ishikawa02.html
こんな活動を日本でしておきながら、母国の韓国では自国の国旗、国家を大切に扱い粗末に扱うと罰せられる法律まであるのにこの違いには怒りを覚える。

http://news.livedoor.com/article/image_detail/3217633/?img_id=209119
http://bp3.blogger.com/_5fBkcihK7pQ/Rmcl-gAMU0I/AAAAAAAAAb8/gv8KjnxSoUY/s1600-h/PICT00321.JPG
http://bp1.blogger.com/_5fBkcihK7pQ/RmcoSAAMU4I/AAAAAAAAAcc/u1q6TWqqzIg/s1600-h/PICT00461.JPG
このように。これが国のあるべき姿です。
聞いた話ですが、パラオの国旗の円が少し中心から外れているのは日本国旗に遠慮をしているからだそうです。
アメリカの
アメリカの写真週刊誌「LIFE」第2次世界大戦シリーズの「南太平洋の戦い」に「タラワ」「ペリリュー」の戦いが当時の写真とペリリュー上陸戦に参加した米軍の兵士のかなりリアルな油絵で紹介されています(米軍側の視点ですが旧軍の奮闘振りを知ってあげて下さい。)
記事の内容もかなり凄まじいもので、たしか精神的に崩壊した者や、散会して夜襲をかけて来る日本兵が照明弾に照らし出されると恐怖を感じた的(15年くらい前に見たのでうろ覚えで申し訳ない)な話が載っています。
ニミッツ提督が日本兵を称える碑文がありますが、日本人でこの戦いを知っている人は少ないんでしょうね。こういう事は学校で全く教えないですもんね。
ウーロンチャンネルさんの行った、ペリリューの旧軍兵士の民宿に行って私も話を聞いてみたいですね。そして亡くなられた日本兵に日本酒を持って行きあなた達の事は忘れたりなどしないと伝えに行きたいです。
胸いっぱいです
ありがとう、ありがとう、ありがとう…。
「じーん」ときました。
チャンスがあれば一度パラオへ行ってみたいです。いいお話をありがとうございました。
こんな有り難い言葉もあります

●インドネシア

当時、世界は白人のものだった。
アジアやアフリカの有色人種は数百年の戦いを経ても白人に勝てなかった。『アジア人』というだけでそれは「支配される側」に生まれたことを意味した。

その世界の構図を正面から戦って変えた国が、この『小さな島国・日本』だったのである。

インドネシアの場合、350年間、彼らの祖父やその祖父もずっと勝てずに苦しみ続けた強敵を、颯爽と現われた同じアジアの日本軍が、彼らインドネシア人の目の前で討ち破ってみせたのだ。

日本軍が歓迎されないわけがあろうか。

●サイパン・台湾

サイパンや台湾などの南国では、今でも天皇陛下に対してこんなことを言う人もいる。 「太平洋戦争がなかったならば、私は今でもあなたの臣下です。」
 
天皇陛下がサイパンを訪れることを決めた時、例によって、韓国人が反日・反天皇デモを行おうとしたことがあったのだが、その時も『もし韓国人が、天皇陛下に抗議するなら、我々は韓国企業をボイコットする!』とサイパン住民は“天皇陛下のために”戦ってくれていた。(おかげで訪問は実現した。ちなみに天皇陛下は韓国人戦没者の慰霊も行った)

同様に南国・パラオ共和国も台湾などと同様に親日傾向が強く、今も「日本人と一緒に戦った」ではなく、『日本人として戦った』と言うのだという。

こうして見てわかる通り『日本が統治した国々』から嫌われることなどない。唯一、中華思想とウリナラマンセーに毒された韓国を除いて。

(この点に不自然を感じないのも韓国人だけのよう)
多くの国が日本に賛辞を送っています。
フィリピン・フランス・イギリス・韓国も日本に対して、最大の賛辞を送っています

★マリグ氏 フィリピン 
平成12年10月25日、「神風特別攻撃隊」の戦没者の慰霊祭が挙行された。慰霊祭の取材にやってきたフィリピン人ジャーナリスト・ジョジョ・P・マリグ氏(25)は語る。

「この式典は日本とフィリピンの関係を知るよい機会です。私は先の大戦で戦ったすべての愛国者は“英雄”だと考えています。とりわけその尊い生命を国家に捧げた『神風特攻隊員』は尊敬すべき“英雄”だと思います。またカミカゼ・アタックを決断した大西瀧治郎中将も本物の“武士”です」

★フランス アンドレ・マルロー元文化相
≪フランスの教科書には『日本がアジアを開放した』と書かれてる≫

『日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわりに何ものにも替え難いものを得た。それは、世界のどんな国も真似のできない特別攻撃隊である。スターリン主義者たちにせよ、ナチ党員にせよ、結局は権力を手に入れるための行動だった。

日本の特別攻撃隊たちは、ファナチックだっただろうか。断じて違う。彼らには、権勢欲とか名誉欲など、かけらもなかった。『祖国を憂える尊い情熱』があるだけだった。『代償を求めない純粋な行為』、そこには『真の偉大さ』があり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間は、いつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ』

★韓国 韓日文化研究所 朴鉄柱

「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本は『アジアのホープ』であり、『誇り高き民族』であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。“事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。

それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争──この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。

日本こそ勝ったのであり日本の戦争こそ『聖なる戦争』であった。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて『国民尊崇対象』となるのである。  →返信

★イギリス 歴史学者 アーノルド・J・トインビー
「1941年、日本は全ての『非西洋国民』に対し、『西洋は無敵ではない』ことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。」(昭和43年3月22日「毎日新聞」)

「第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に『偉大なる歴史を残した』といわねばならない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。 日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを明らかに示した点にある」
(1956年10月28日/英紙「オブザーバー」)

★式典に参列したダニエル・H・ディゾン画伯(70)は静かに語る。

「いまから35年前に私は『神風特攻隊』の本を読みました。涙がとまらなかた。……こんな『勇気』や『忠誠心』をそれまで聞いたことがなかったからです。同じアジア人として、このような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを“誇り”に思っています」

 日本人が日本人としての誇りを取り戻せる
日はいつなのでせうか。
 「お前はそれでも日本人か!」という言い
回しが昔ありましたが、パラオを始めとした
英霊の偉業を知るにつれ、最近やっとその意味が解ったやうな気がしています。

英霊達に、父祖達に、そして彼らの行いを称えてくださる国々の方々に恥ずかしくない者であることができるように精進したいものです。

すばらしいエントリーをありがとうございます。チャンネル桜で故名越二荒之助先生が日の丸三兄弟としてパラオの国旗を紹介しておられたことを思い出します。このようなネガティブでなく美談によって国と国との接点を発掘し紹介されていましたが、チャンネル桜のシステム縮小と同時に戦友の待つあの世へ旅立たれました。日本には数多くの埋もれた美談があるのですね。
未来への義務
再度読んでも落涙してしまう、本当に良い話だと思います
例えば、戦跡や記念館の類を訪れれば訪れるほど、このような事実を知り、日本人としての衿持と誇りを覚えます
問題は、このような日本人の誉れ高き精神性を、誰に、どのように伝えていくか?年月とともに薄れていく民族の記憶と、その裏付けをどう残していくか?だと思います
逆説的に、前稿で述べられていた民主党運動員との一件などは、まさにこの伝える作業を怠り、あるいは妨げられた結果に思えます
私は、時には変人扱いされるのも不徳の致すところと自戒しながら、事あるごとに日本人の精神性と美徳、そして現代の欺瞞を語っていくつもりです
どうぞ博士様には、今後も真実と正論を提示していただくと同時に、賛同者の皆様には一人でも多くの人々にこれを伝えていただきたいと思う次第であります
ありがとうございます
皆さん同様私も感激しました。

昔読んだ本なので少しうろ覚えですが、
戦ったのは群馬の連隊で、何十人かが終戦まで中佐の指揮下終戦後までゲリラ戦を戦い、
連隊旗を先頭に、粛粛として降服したということでした。
戦闘のすさまじさが強く印象に残った本でした。
感謝・感謝です
本当に英霊方の功績は、何度読み返しても涙が溢れ出ます。感謝・感謝の気持ちでいっぱいです。中国の孫文もインドネシアのスハルト大統領も、みな日本に感謝してくれていたんですね。

★独立50周年となった平成7年、残留日本兵69名に対し、インドネシア大使から感謝状が贈られ、スハルト大統領は彼らを官邸に招いて礼を述べた。

そしてインドネシアの独立宣言文を起草したスカルノ大統領、ハッタ副大統領は“独立を宣言をしたその日付”を1945年という西暦ではなく、「日本の協力なしには独立できなかった」という感謝の念を込めて“17805”(=17日/8月/05年)つまり2605年という皇紀で記したのである。

※「皇紀」と「西暦」
西暦がイエス=キリストが誕生したとされる年を紀元元年としているのに対し、皇紀とは日本書紀に記されている神武天皇(初代天皇)即位の年を元年として起算した日本独自の紀元表記のこと。  →返信

★中国 孫文(中国革命の指導者)

「ベルサイユ講和会議で、日本は『五大国の一員』として席に着いた。日本はアジア問題代弁者だった。他のアジア諸国は、日本をアジアの『先頭馬』として認め、その提案に耳を傾けた。白人人種にできることは日本人にもできる人間は肌の色で異なるが知能に違いはない。
 
アジアには『強い日本』があるから、白人人種はアジアのいかなる人種も見下すことはできない。日本の台頭は大和民族に権威をもたらしただけではなくアジア全民族の地位を高めた。」(孫文『三民主義』より)
 
“現代の”中国人や韓国人、日教組や左翼がどんなことを言おうとも、日本人が自らを恥じる必要など無いのである。

(ちなみに中国では孫文の著書は≪捏造歴史教育に都合が悪い≫ので全て燃やされた)

すばらしいお話ありがとうございます。

20年ほど前、トルコ旅行で知り合った方が、パラオの遺骨収集の話をされていて、初めてパラオのことを知りました。
当時の私は「日本人は侵略した国から憎まれている」と思い込んでいましたので、島民が歓迎してくれるとか、協力的とか、遺骨収集が自分の役目とか話される内容に違和感を覚え、右から左で聞いていました。
旅行後、まもなく他界されましたので、もうお話は聞けませんが、今でもパラオには、たくさんの遺骨が眠っているのではないでしょうか。
生前、もっとお話を聞いておけばよかったと後悔しています。
私は日本人!
初めまして。貴公のブログに好感を持ち、座敷わらしを決め込んでいる者です。感謝の気持ちをお伝えしたくてコメントさせて頂きました。パラオの英霊の投稿は、再度の拝見にも関わらず、自然と涙が出てしまいます。パラオで散った桜の花たちに、ありがとう!
感激の涙
記事を読んで思わず涙を流してしまいました。こんなに素晴らしい国に生を受けることができたことを誇りに思います。またこういう国に生まれたことを誇りに思わなければ先人に対して大変失礼だと思いました。素晴らしい記事を提供くださりありがとうございました。

<「お前はそれでも日本人か!」
ありましたね。今では先人の偉業にただただ恥じる入るばかりです。
私もこの話と「みなみのしまに降る雪」には涙が出てきます。パラオの人たちに感謝します。
台湾とパラオは一度は訪れたい島です。

何度読んでもすばらしい話です。これに引き換えると今の朝鮮半島がどれだけ醜い心根に満ちた者たちであることか。ぜひとも誇りに胸を張れる日本を取り戻したいと思います。
「美しい国」VS「普通の国」
こんばんは。国民新党党員 くまがわ直貴です。
 明日(7月11日)告示の第21回参院議員普通選挙、各候補者並びに各政党とも「消えた年金問題」や「格差問題解消」、「教育基本法」そして「憲法と9条」等様々な争点を公約に掲げ、その時を待つばかりとなっています。
 自民党安倍総裁(首相)は、相次ぐ閣僚の交代劇や年金記録漏れ問題と度重なる不祥事により、支持率を急落させており、これに加え赤城農水相の事務所費問題が直前になって大きな衝撃を与党サイドに与えているという厳しい情況です。
 特に社会保険庁の年金記録漏れ問題は、国民・タックスペイヤーの実生活にダイレクトな影響を及ぼすことは必至であり、有権者の関心度でも上位に位置しています。
 社会保険庁OBによる着服(!)というにわかには信じ難い疑惑まで浮上しており、安倍首相は総務省に組織内体質のコンプライアンスを指示していると言われます。

 国民年金の受給水準や公的年金制度そのものに対する根強い不信、そして負担・給付を今後の世代推移の中でどう対応すべきかというテーマに真摯に答え得る候補者と政党が今求められていると思います。現状では、説明不十分さ故に公的年金制度の啓蒙活動が必ずしも十分には行われていないきらいがあるのですから。
 例えばいわゆる「空白期間」のケースを取ってみても任意加入を行わなかった方や、厚生年金脱退手当金のパターン等それこそ個人個人で様々な状況が想定され、それら全てに対応する為には如何に分かり易く安心を与え得るかという点が重要視されて来ることでしょう。

 安倍総裁は、著書『美しい国へ』(文芸春秋)の中で
 「社会保障とは、端的にいえば、人生のリスクに対してセーフティネットが張られているかどうか、ということにつきる。」と述べています。
 障がい者・チャレンジドや、介護・疾病等の個々人のライフプランの違いに応じて対応し得るセーフティネットこそが、再チャレンジを可能にするというものです。
 国民年金の場合は、月額6万6千円。これは「最低限度の生活」を国家が責任を持って保障するという観点から導き出された金額なのでしょうが、それすらも貰う事が出来ないのであれば、国家は国民に対する責任(信頼も)を自ら放棄したに等しいと言わざるを得ません。
 一方、対する民主党の小沢一郎代表は、かつて著書『日本改造計画』(講談社)の仲で、
 「所得税・住民税を半分にする。」と発言し、所得税の累進性を例に挙げて、税負担増の害悪を主張、続いて法人税の引き下げで、個人の給与可処分所得の増加を目指していました。面白いことにこの当時(1993年)小沢氏は、これらの減税の財源に消費税率引き上げを「最も合理的」と賞賛し、「欧米諸国と米国の中間の10パーセントとする」と断言していたことです。(恐らく、現実問題消費税のアップは避けては通れない問題でしょう。)
 新保守の寵児であった小沢一郎氏という政治家が、単なる「壊し屋」や理想主義者ではなかったのは間違いなく、それは安全保障問題や外交・日米安保への取り組みにおいても表れていると思うのです。

 【「美しい国」と「普通の国」】
 安倍総裁は、北朝鮮金正日政権による日本人拉致問題に父・安倍晋太郎元外相の秘書時代から取り組んできており、自民党の外交部会では「北朝鮮へのコメ無条件支援」を主張する河野洋平氏(元総裁、衆院議長)や加藤紘一氏(元幹事長)らと激しく対立したことで、拉致被害者家族からも信頼が厚く、それが結果として国民世論の熱狂的支持を集めたことは周知の通りでしょう。
 安倍氏がよく好んで使う言葉には「ナショナリズム」というものがあります。それは靖国神社であったり、または日の丸・君が代、もしくは日本国家に対する帰属意識であるかと考えられます。
 安保条約第5条の
 「各締結国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」
 という軍事同盟的意義が、9条2項条文との間で有形無実化している部分を憂いています。リアリストの立場からすればこれは至極もっともであり、憲法問題の「解釈」応用には少なからず限界点があることを露見する形になっています。
 安倍氏の言う「自立した国家」は、北朝鮮の脅威という危機の前では現実味を帯び、また小沢氏の「普通の国になれ」というテーゼとも決して相反するものではないと思うのです。

 小沢氏は、海部内閣当時の経験の中で、「国際貢献」(具体的にはPKOやPKFを指していると思われる)は日本自身が生き残る為の手段と考えていた様です。
 安全保障分野では、何よりも国際協調をキーワードとしており、日本が負担すべき「平和と自由のコスト」について言及しているのは大変興味深いと言えます。
 自衛隊を再編成するという「専守防衛戦略」から、新秩序構築を目指した「平和創出戦略」へのシフトは、日本独自での国土防衛計画、最終的には「軍事専門職である制服自衛官が純軍事的視点から行うことが不可欠」な本来の意味での「シビリアン・コントロール」が導き出されています。
 旧日本社会党・原理主義的護憲平和論者の理論的支柱であった、『非武装中立論』とは一線を画していることは明白です。

 参院選においては、年金問題の影に隠れてしまった感の否めない「国家の在り方」についても議論が成される事を願って止みません。それは、対北朝鮮政策や拉致被害者の救出プログラムにも直結して来るのですから。
 …そして、国民新党が政界のキャスティング・ボードを握り、真の意味での責任政党(すなわち政権政党)となり得るべく、いち末端党員として闘って行きたいと思います。

特定アジアFLASH総合サイトを開いて、日の丸をプチッと押していただければ感動FLASHの多数をごらんいただけます。その中で私が一番感動したのは「真実はどこに」でした。どの物語も涙なしには見ることは出来ないと思います。もちろんこのパラオのお話もあります。当時の日本人は民族の存亡をかけて闘ったことが良く分かります。ただ、今の日本の繁栄を見て、そこまで戦う必要があったのかなぁ、当時の日本人は視野が狭かったのでは?という気持ちもあります。でも、今の常識で当時を見てはいけないでしょうね。当時は今のように情報社会ではないし、アメリカ軍の日本兵捕虜にたいする虐待があったり、白人絶対支配の世界だったわけですから。命を懸けて戦わなければならない理由がその時代にはあった。民族の存続のため自分の命を捧げることをいとわない日本人が数多くいた。そのことを私達日本人は忘れてはならないと思います。美しく、哀しく、そして、とてつもない無駄も感じます、このことに関しては一生整理できないと思います。みなさんもよかったら見ていただければと思います。


     
「国民新党は、最初からキャスチングボートを握るとか、連立だとかは考えていない」
「7党党首討論会、年金や政治資金で激論」http://www.sankei.co.jp/seiji/seikyoku/070711/skk070711001.htm

国民新党の綿貫民輔代表は、参院選後に自民党と連携する可能性について、「最初からキャスチングボートを握るとか、連立だとかは考えていない」と述べた。

こんばんは。国民新党党員 くまがわ直貴です。さん曰く、
「 …そして、国民新党が政界のキャスティング・ボードを握り、真の意味での責任政党(すなわち政権政党)となり得るべく、いち末端党員として闘って行きたいと思います。

 

とりあえず投票日過ぎるまでは考えません。ということ?

国民新党党員 くまがわ直貴さん。
頑張って下さい。応援しております?。

党として全く考えていない。と威勢よく言っていたような。。。
テレビを見ましたが、キャスティングボードとか共闘、連立とかそんな考えは持たず、国民新党として個性を追求してゆく考えでおります。のようなことを言っていましたぞ。

まーどこの政党でも、いろんな考えの方がおりますから、こんな微々たる意見の違いは国民新党的には今後もありますので、勘弁してやって下さい。細かいことは気にするな!。


私もTVで国民新党のオジサンが「意見が違うから別れたわけで、連立はない」とかいっていたのをみました。
アジアの『希望の星』だった日本人

本当に、日本の『ご先祖様の功績』を知れば知るほど、私は今までの「能天気」で「頭にお花が咲いてるエセヒューマニスト」だった、自分が恥ずかしくなります。

つい最近、前野徹氏著の『凛の国(美しい日本の精神遺産)』を読んで、マレーシアのマハティール前首相が、今の日本の茶髪の若者を憂いて、『人間は自分の姿に誇りを持つべきです。今の日本人は欧米人のようになろうとしています。人を真似るのは、その相手が自分より優れていると認める事を意味しています。自分自身がハッキリとした意味がある場合を除き、私は人マネに賛成できません』と批判され、『そんな日本人を真似するべきではないと考えています』と語ってらっしゃいました。

このマハティール前首相の発言は2004年6月の日本経済新聞のインタビューのものだそうです。

『歴史を軽んずる者は、歴史に罰せられる』、本当にそのとおりだと思います。日本人が『日本人の魂』を持てずに、ウロウロしてしまっているから、中韓連中相手に、無様な外交を展開しているのかもしれませんね。
私たちの責任
この逸話には何度接しても感動させられますね。
今の日本の教育にはこういう戦時中の実話を聞かせる事が必要だと痛感します。

今の日本があるのは、当時の多くの、特に若者達の犠牲があったおかげですね。『特攻』を、精神的に追いつめられた結果とか、意思に反して強制的にさせられた。。
等と批判する人がいるが、恥ずかしくはないのでしょうか?
彼らがどんな思いで飛び立って行ったのかは彼らにしか判らない。しかしその行為は決して無駄ではなかったはずです。
日本は戦争には負けたが、生き残り、戦後の日本を支えてきた方達は、彼ら(特攻に限らず)のような家族や国を思う気持ちを忘れず、必死で再興に勤めたからこそこのように立ち直れたのではないのでしょうか?
私は彼ら、おじいさん世代を誇りに思います。

戦争は悲惨です。2度と繰り返さないのが一番です。
しかし、理不尽な要求や恫喝には毅然とした対応は当たり前のはずですね。
戦後の、日本を貶めようとする勢力の某略のおかげで、日本は普通の国ではなくなって来ています。
何処に自国の国旗や国歌を拒否する国があるでしょうか?
それも教育の現場教師やPTAが子供の前で平気で…
こういった国内の歪んだ考えの人達が及ぼす害悪は本当に日本にとって深刻ですね。

私たちは今こそ政治に厳しい目を向け、正しい決断をし、先人達に恥ずかしくない日本になるように一人一人が責任を持って行動しましょう。

政治家の方も、『日本人の、日本人による、日本人の為の政治』をよろしくお願いいたします。

ペ島の話は、日本人として、誇りに思います。

また、死ぬ前に
靖国参拝を始め、親日国家を巡り、如何に先人達が偉大だったのかを知りたい。

そして、戦勝国及び勝馬に乗っただけの国に聞きたい。

「今まで、旧・植民地国家からの、感謝の声は一つでも挙がったのか?」と。

一生に一度はパラオと台湾に
行って見たいと思う今日この頃
こんなことを知る前に
中国と韓国へ行きました
ああ 腹が立つ金返せ
中国の通訳の人は300万持ってきたら
一生暮らせると言いました何か怪しかったです
韓国の通訳の人は何時か北と戦争に
なって自分達は滅んでしまうと
悲しい顔をして言いました
他人事だけど心が痛みました
それからヨロッパ5カ国を駆け足ながら
回ったことも有ります
その時の想いでは楽しかったです
再掲の度に読んでしまいます
何度読んでも感動します。
こういう話を副読本でもいいから、学校で教えられるような国に早くなって欲しいと思います。
私が知ってる小学校ではひどい事に強制連行で来たとおっしゃる在日の人の話を何の罪もない(というかそもそも嘘なのに)子供に聞かせて、抱く必要のない罪悪感をうえつけてます。
こんな教育を堂々と行なっている教育委員会関係者はどう責任を取るのか?
将来、日本がほんとにまともな普通の国になった時には先生方が大嫌いな日本国からの年金を巻き上げる事まではしないまでも、せめて教え子(卒業生・在校生)に土下座くらいはして欲しい!

何度も読み返してしまいました。
いや~何度見ても感動できますね。
すばらしい話をありがとうございます。
きっと修身の教科書はこういう話が多かったのでしょうね。
いや、今こそ、「古い」修身の教科書に変わってこういう話を集め、売るべきだと思います。そして、行動だけを追及して内容の薄い「道徳」の授業を修身の授業に変えるべきです。
こういう国がある限り、私は闘えます。
こういう国のおかげで目的を見失うことはありません。
日本が億が一、亡国となっても「日本」の理想を受け継いでくれる国があればありがたいと思います。
どうか、パラオ、インドネシア、タイその他東南アジアの国々に恵みがあらんことを!


p.s.スカルノ大統領を反日の一人としている教科書の記述は消えてほしい……。
初めまして♪
初めまして。
私も一昨年、パラオの国旗について
ブログを書かせて頂いてたので、
TBをさせて頂きました。

こちらのブログには、詳しく書かれていて、
勉強になりました。
ありがとうございます。

他のページも拝見させて頂きますので、
今後とも宜しくお願い致します。

「練馬のんべ」さんのブログから「パラオの桜と英霊」へ飛んできました。非常に感激しましたので、@nifty皆の話題トピックイットに紹介しました。昭和20年ころから「日本の軍隊が悪い」という話を聞いたり、印刷物を見るたびに腹が立ち、中学に進学するときは、「本は読まない」と決めて40年以上教科書以外の本はほとんど読んだことがありませんでした。もっとも、昭和40年代始めに「林房雄先生」が書かれた「大東亜戦争肯定論」は読みました。最近再発行されましたので、再度購入して読みました。インターネットで見ているうちに、タイ国のククリット・プラモード元首相が新聞社の主幹をされていたときの言葉、あるいはラダ・ジャト・ノンチックというインドネシアの国会議員をされた方の「日本人よありがとう」という言葉も聞いて昔の人は偉かったと言う、自分の中学になるときの思いが、確認されて喜んでいる状態です。このブログもその一環として喜んで見せていただきました。
我ら玉砕以て太平洋の防波堤たらん!
死するともなほ死するとも我が魂よ永久にとどまり御国まもらせ(桜花特別攻撃隊 緒方襄命)




先人英霊に敬礼!
明日から靖國秋の例大祭
お参りして、多くの英霊に感謝を捧げたいと思います。もちろん、パラオで散華なさった英霊の方々にも。
誇り高き日本人に戻りたい
早朝から不覚にも涙しました。パラオの話ははじめて耳にしました。

戦前の日本人は、誇り高き人たちだったようです。それに比べて現代の日本人は・・・。
毎年3万人以上が自殺をし、25万人が離婚する、今の日本人は本当に幸せなのだろうか。

物質的には何でも手に入るけれども、精神的な面では、どんどん悪化しているのではないでしょうか。今の日本を守るために命を捧げる人がどれだけいるのでしょう。

そうそうこの本を読んだ時にも涙しました。
散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道: 著者 梯 久美子

尊き日本を守るため、頑張った人がいたことを忘れてはいけないと思います。将来の日本をもっと良い国にしたいものです。そのために自分なりにできることを各自がこつこつとやっていくしかないのでしょうね。

ペリリュー島の日本軍の活躍もぜひ取り上げてください。中川州男大佐に率いられた日本守備隊は、硫黄島の戦いと同様、日本人に語られなくてはならない。

日本人に生まれて良かった、と思いました。
誇り高き先人の魂、どうか安らかに…

エントリー、本当にありがとうございました。
永遠の眠りについてます
身内がペリリュー島かガドブス島のどっちかで戦死して眠っております。
パラオ人々からも大事に供養されており
とても日本人は慈悲深い民族だったんだ
実感。未来の日本のために死んでいった先人たちの気持ちを無にしてはならないと
思います。

インドネシアを独立させたのは韓国人だと言い出しましたよ、韓国人が。当時朝鮮半島のは日本だったので日本軍人に応募した朝鮮人軍人だったからと。現地の韓国系企業の人種差別は土人扱いで、インドネシア人から嫌われていると聞きました。
憐れな民族(韓国人)
<インドネシアを独立させたのは韓国人だと言い出しましたよ、韓国人が。>

「笑止千万」とは、まさにこの事ですね(笑)。『ここまで捏造するか?』と、彼ら韓国人の『卑怯者振り』には、怒りよりも“憐れさ”を感じてしまいます。

もしこのような戯けた捏造話を韓国人から聞かされた場合、『あれ、知らなかったの?韓国人は、米英蘭人捕虜や中国の民間人に対して、酷い暴行や拷問を加えて虐殺していたのは有名よ、あぁ、そう言えば、ベトナム戦争でも、無辜の民に対して、空前絶後の残虐非道振りをご披露したんですってね」って言ってやります。

バングラディッシュの国旗も日の丸


2000年8月に森善朗首相は、南アジアを歴訪され、その中でバング
ラディッシュを訪問しました。その時の歓迎式典では、森首相の後
背に、白地に赤色の日の丸と、緑地に赤色の球形のバングラディッ
シュの国旗が掲揚されていました。

 この二つの国旗を映像で目にした私は、何らかの関係が両国にあ
るに違いないと感じました。タゴールとチャンドラ・ボースとパル
が日本と深い関係にあるだけで日の丸を元にしたとしか考えようの
ない国旗ができるとは思えません。
 もっと、深い関係があったのではないでしょうか。

 それとも、中心に球体を描くというデザインが偶然にして日の丸
と同様になったのでしょうか。三色旗を元にした国旗は多数ありま
す。
しかし、中心に球体のみを描いている国旗(その他の装飾はなし:
韓国のような国旗は省く)は、世界の国旗集を見る限り、日本とパ
ラオとバングラディッシュのみです。

 その後、名越先生のホームページに上記について問い合わせをし
ました。

==============================
 国際派日本人養成講座の伊勢雅臣です。名越先生のホームページ
を代理で作りましたので、代わってお答えします。


 「日本との深い関係」の中身を具体的に調べられることをお勧め
します。たとえば、本講座の以下の号をご覧下さい。

002 国際社会で真の友人を得るには
 「インド独立の為に日本人が共に血を流してくれたことを忘れま
せん」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog002.htm

039 国際法を犠牲にした東京裁判
 人類史上最初の核兵器の使用に対し、東京裁判が目をつぶってし
まった事が、現在の国際社会の無法状態の根源ではなかったか? 
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog039.html

 名越先生のお話によれば、現在、インドの建国の英雄は、ガンジ
ーよりも、ボースであり、そのボースの組織した自由インド軍と日
本軍は一緒に血を流して戦ったのでした。それだけの縁のあるボー
スを生んだバングラデシュが、日の丸のデザインを使ってとしても
、不思議ではないと思います。
jog@y7.net http://come.to/bus 伊勢雅臣 一燈照隅万燈照国
http://come.to/jog Japan on the Globe 国際派日本人養成講座


【私見】

 チャンドラ・ボースは、インド生まれではなく、バングラデシュ
生まれであった。
しかし、これは、現在の世界地図を元にした見識である。
つまり、当時の世界地図に照らせば誤りである。
故に、インドは、イギリスから1947年独立して50年共和制と
なり、イギリス連邦に属している。
パキスタン(清浄な国の意)は、イスラム共和国で、インドを挟ん
だ東西二つの部分が1947年英領インドから分離してイギリス連
邦内の自治領となり、56年共和国となる。のち、言語・民族の異
なる東西の対立が激化し、東は71年バングラデシュとして分離独
立した。

 つまり、現在のバングラデシュ(ベンガル人の国の意)は、イギ
リス連邦に属しているが、旧東パキスタンに当たり、1971年パ
キスタンから独立。元をたどれば、1947年までバングラデシュ
はインドだった。だから、元インドのバングラデシュの国旗が日の
丸と相似していても、パラオの国旗同様、何の疑義も生じない。

そしてここで疑義が発生。「英連邦に属する」とは何ぞや。
これに関しては、「no301-1英連邦について」で私が発表している。
参照されたい。

 ネットより検索したのを添付させて戴きました。

 











東から
現在ではペリリュー・アッツ・二ューギニャ・キスカの徹退、その中でもアッツの山崎大佐・ニューギニア、ガタルカナルの一木大佐(一木支隊)が有名でした、キスカは陸軍・海軍が協力した唯一の作戦として「転出」と言う記事でしたが有りました。
この様な話題が取り上げられる嬉しいことです、戦後は文化は西からと言う風潮で日本を否定する情報ばかり、教育もその中に取り込まれ、日本から発信する機能を有しながら何もしないで来たのです、近世の過去とは言えこの様な感動的な事を若人に伝えられなかった大人の責任を感じます。
21世紀の文化は東から西へ「現実」のものです。アメリカとの経済戦争・中国への日本帝国が与えた影響・朝鮮の半分を近代国家たらしめる協力をした。日本発の道徳観・文化・想像力が世界に影響を与えています、不足するのは人間としての「常識」「発信力」が肝心の政治家・マスコミにない事、この2つ(あえて物扱い)が正気に成ると日本は誇りと世界から尊敬される国に成ると思います、事実を述べるだけで良いのですから楽なもの「気力」の問題だけでしょう。


誇れる祖先を持つことが、どれだけ幸福なことか。
さまざまな少数民族が、強国に支配され国を奪われ、絶滅させられた歴史がありますが、日本も、同じような悲劇に見舞われ、まさに命がけで国を守ろうとし、そのような壮絶な場面に於いても、日本人ではない人達に対し礼節を尽くした。この素晴らしい国民性を持つ日本に生まれて本当に良かった!
何度読んでも
本当に泣けます。日本人の心意気、大和魂。かつては確かに存在したはずです。
かつて、日本人は誇り高き民族であり、その誇りこそが『世界史上初の有色人種国家による近代国家樹立』の原動力になり、アジアのよく似た顔をした人たちの、白人の圧政からの解放という高い理想を掲げるに至ったのです。

それが戦後教育ときたらあれですからねぇ。
我々戦後生まれの人間は、まるで愛国心を持つことが悪いことであるかのような教育をされてきました。
何故、自分の生まれた国に誇りを持ってはいけないのでしょうか。

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