2007/05/16(水) 18:55:20 [台湾]

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中共の標的「台湾」の危機!

20070516004
中国、米空母攻撃ミサイル開発へ 台湾有事備え
 中国軍が、台湾有事をにらんで米空母攻撃用の対艦弾道ミサイルの開発に着手するとともに、ロシアから超音速長距離爆撃機も導入し、対米軍戦術を修正していることが15日、明らかになった。米軍や自衛隊の迎撃兵器の射程外からの攻撃に力点を置くことで、台湾有事に際して米空母機動艦隊来援を阻止する目的とみられる。日台軍事筋が明らかにした。こうした中国の戦術修正が成功すれば、米機動艦隊の台湾海峡接近が困難となり、米軍は対中戦術の見直しを余儀なくされる。また、自衛隊の現有装備では新たな脅威を防御できず、東アジアの安全保障にも大きな影響を与えそうだ。産経新聞 5月16日より/写真は中共の移動型・短距離ミサイル発射台(読者提供)

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知るべき「中共の素顔」

 これは危機感を煽(あお)るものではなく「現実」である。「台湾有事」の可能性は、同時に、多数のミサイルを向けられている「日本有事」の可能性をも意味する。その「有事」の主役は、覇権・領土拡大主義を是とする中共(中国共産党)である。

 「まさか、中国は平和を真剣に考えている国だ」。「まさか、中国が軍事力を使うとは思えない」等々。いろいろな声がメディアを通じて聞こえて来る。それが事実であれば、日本にとっても有難いことだ。だが、表向きの「中国の顔」はそのように映るケースがあるかもしれないが、事実はかなり異なる。

 昭和24年(1949年)10月1日に支那で覇権を握り、「中華人民共和国」建国を宣言した中国共産党は、その軍圧によってどれほど多数の「人間」を殺害して来たか。そして、今も殺戮が続いている事実を知れば、その「まさか」は消えるだろう。中共の素顔を知るべきである。
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チベットの惨劇

 ごく概略だが、チベットと東トルキスタンの惨状について触れる。いずれも。これまでに、中共の軍事侵攻が招いた惨劇である。

 現在の「チベット自治区(西蔵自治区)」は、元来、「チベット」という独立国であった。ところが、中国共産党が国民党との内戦を制する間に、チベットの国域に対し、昭和24年(1949年)までに、東部のアムド地方、カム地方を制圧。その翌年(1950年)は、「西藏和平解放」と偽って人民解放軍がチベットの中央にまで侵攻。圧倒的な軍事力により、同軍は、1951年に首都・ラサを占領。チベット全土を制圧したのであった。


 このチベット侵攻以来、中共によって殺害されたチベット人は150万人(大法論)に上り、先稿に記した通り、今も、チベット人に対する軍圧、惨殺は続いている。現・胡錦濤国家主席は、1989〜92年にかけて、このチベットに自治区の書記として赴任し、チベット人に対する絶えざる弾圧と大量処刑を指揮した人物である。
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東トルキスタンの惨劇

 このチベット侵攻と並行するかのように、人民解放軍が「新疆開放」と偽って東トルキスタンに侵攻。同国は、中共に占領され「新疆ウイグル自治区」としての屈辱を余儀なくされたのである。

 中共の占領政策は、かのチベットにおける残虐と同様に、妊婦に対して「計画生育」と言う名目で胎児の中絶を強制。密告を含め、犠牲になった胎児は850万に上る。さらに、中共は「政治犯」として50万人もの東トルキスタン人を処刑。その処刑は、チベットで行なった殺戮と同様、武器を持たない婦女子、老人にすら及んだ。無抵抗な者を後ろ向きにさせて銃殺するという、チベットでの殺戮と同じ手法であった。

 また、東トルキスタンのロブノール湖は核実験場として使用された。1996年までに、認知されている核実験だけでも45回。実際は、小規模の実験も含め、同地における核実験は50回以上に及ぶと推定されている。この結果、累計75万人以上の人々が放射能中毒で亡くなり、チベットと同様に、核実験と核廃棄物の捨て場となった国土には、数知れない異常出産が今日まで続いているのである。
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覇権主義の次なる標的

 「中国」の地図をご覧いただきたい。中国共産党の影響により1947年に吸合された「現・内モンゴル自治区」を含め、白地の部分は、少なくとも、元来、別国家である。絶えざる覇権主義の次なる標的は、西には、中共による侵蝕が進むネパールと、極東においては台湾と日本、朝鮮半島である。
 

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中共の地図(クリック拡大)(5月17日白地部分を拡大修正)

 特に、台湾の吸合は、天然資源の確保とシーレーンの封鎖に都合がよく、台湾の正式な独立宣言のタイミングに「武力行使」に出る。つまり「有事」を起こす構えを見せている。この緊張について、産経新聞がたまに報じているが、大手紙はその「緊張の要因」が中共の覇権主義にあることにはさほど触れずに、台湾の軍事演習や米海軍の動向をクローズアップして報じる傾向にある。まさに、中共の思惑通りである。
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中共が進める兵器の先端化

 産経紙によれば、云く『同筋(日台軍事筋)によると、中国軍が改良に着手したのは、射程1500〜2500キロの準中距離弾道ミサイルである「東風21」。動く目標を赤外線で探知する装置を取り付けることで、米空母攻撃も可能となる。東風21は核弾頭の搭載が可能で、100基近くが既に配備されている。今年1月、衛星の攻撃実験に使用されたのは東風21の派生型で、改良が進んでいる』と。

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中共の東風ミサイル(読者提供)
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 すでに、一昨年(2005年)9月の時点で、台湾国防省は、同国の国防報告書に、中国共産党の人民解放軍は2005年末までに台湾を向けて784発の「東風」シリーズ短距離ミサイルを配備。さらに、毎年75〜100基のペースで増設を進めている、と記している。


 中共の動向について、産経紙は同記事に云く、『また、早ければ年内にロシアから10〜20機の超音速長距離爆撃機バックファイアー(Tu−22M)が売却またはライセンス生産契約される見通しだ。同爆撃機は、戦闘行動半径約4000キロで、射程5000キロのAS−4空対艦ミサイルを3基まで搭載できる。米本土も爆撃可能なため、第2次戦略兵器制限交渉(SALTII)で、保有を認める代わりに空中給油装置撤去を条件としたほど、米側が恐れた兵器だ』とある。

 「胡錦涛主席、海軍の防衛作戦能力の向上を指示」と題する記事(「人民網日本語版」(2006年12月28日))に掲載された胡錦涛氏の発言については、先稿に紹介した通りである。「わが国(中共)は海洋大国だ」と宣言。「新しい世紀の新しい段階において、軍隊の歴史的使命の必要性に対応し得る強力な海軍を構築する必要がある。戦闘に対応するための十分な準備を整え、常に効果的に任務を果たすことができる部隊を確保する必要がある」と海軍増強の方針を述べている。

 事実は、まさにその言葉の通りに進行しており、その虎視眈々とした視線は、先ず東シナ海に向けられていることが、胡錦涛氏の宣言からも分かる。

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将棋の駒を打つように

 中共の策動による「台湾の孤立化」が着々と進められている。世界保健機関(WHO)の第60回総会が、この5月14日、スイスのジュネーブで開催されたが、台湾の「WHO加盟申請」については11回目の却下となった。中共のロビー活動の成果である。

 この結果について、北京週報(5月17日)に、云く、『中国代表団団長の高強衛生相はその発言で、「台湾当局はその政治上の必要から、極一部の国を説得して台湾の加盟問題をまたも出させたが、これは国際社会での台湾独立の実現を企むためであり、台湾島内にいる一部政治家の選挙の勝利にポイントを稼ぐためだ」と指摘した』と。

 また云く、『高強衛生相はさらに、「台湾は中国領土の切り離すことのできないの一部であり、中国政府は、一貫して台湾同胞の健康状態に注目しており、あらゆる努力を払って台湾同胞の健康と権益を保護していく」と語った』とある。健康被害に苦しむ国民が3億人に達する、と伝えられる「中国」。自国民の健康すら守れない「中国」の嘲笑を買うかの発言だが、台湾に関しては、国際社会に「一つの中国」を印象付けて孤立化を図る。それが中共の思惑であり、将棋の駒を1つ、また1つ打っていくかのように、標的を追い込む。それが中共の手法である。

 日本に対する反日策動の流れも、中共にとっては都合の良い「駒」であることは云うまでもない。本年の中川昭一氏(政調会長)は、講演(2月26日・名古屋)の中で次のように指摘している。「台湾が(今後)15年でおかしくなったら、20年ぐらいの間に、ここ(日本)は中国の何番目かの省になるかもしれない」と。

 AFP電(2月26日)によれば、『その後、国会内でも記者団に「中国は今は平和的台頭でおとなしくしているが、2010年(の上海万博)が終わると、いよいよ“非平和的台頭”になる可能性がある」と強調、「台湾が完全な勢力下に置かれた場合、次は日本になりかねない」との見方を明らかにした』とある。15年、20年というスパンはやや大らかに聞こえるが、中川氏のように、中共の素顔を見抜く、憂いを持つ政治家がいることは心強い。
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中共の軍事侵攻に備えよ

 他国の軍事的脅威に遭遇しているのは何も日本だけではない。いかなる国家であっても、他国の脅威から「国民の生命と財産を守る」ために尽力している。「当事国の防衛」に関する施策はごく当然のことであり、戦争、紛争に対する抑止力として不可欠としている。

 集団的自衛権、および改憲を前提とした議論は、先進国ではごく当然の事項であり、中立国スイスの国民皆兵の例はご存知の通りである。戦争に対する抑止力を背景としてこそ「中立」は成り立つ。せめて、日本も先進国並みの国防を考慮すべきである。可能なあらゆる政治手段を尽くして、日台を守る施策が講じられることを願う。 
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【筆者記】

 ここは「ニポン」ではなく、「日本」である。思想信条は多少異なれども、この日本に生まれ、日本の「飯」で育ち、日本の「言葉」で学び、日本社会の中で生きている。日本人としてのわが身が在るのも、無数の先人が命と引き換えに守り育てて来た、この日本があればこそである。

 先人の努力と父母があってこそ、話し、読み書きする今の自身が存在している。このごく当たり前の感謝の念は、人が生きる上で持つべき基本ではないのか。さまざまな国難、苦難が到来することはあっても、良識のみなさまとともに、日本を取り戻してまいりたい!

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2007/05/11(金) 12:51:17 [台湾]

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友国・台湾で奉歌される君が代

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台湾有情 廟に響く君が代
 台湾南部の台南の郊外に、終戦前年の空中戦で米軍機に撃墜された日本海軍の零戦パイロット、杉浦茂峰少尉を祭る廟がある。「鎮安堂 飛虎将軍廟」。杉浦少尉は、集落への墜落を避けようと機体を引き起こして、間一髪でその惨事を回避したものの、自身は機銃掃射を受けて戦死した。 勇気ある行動に感動した地元の有志が、「少尉の霊を慰めよう」と、1971年に小さなほこらを建立。(中略)曹さんはしかし、「杉浦少尉は命をかけ村を守った。今度はわれわれが神となった少尉を守る」と話している。産経新聞 5月11日/写真は「台南駅」(公報より)

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村落の惨禍を回避した杉浦兵曹長の判断

 この廟は、台南市から約5キロ北西に離れた「海尾」という町にある。廟の名称は「鎮安堂飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう)」。堂主は呉省事氏である。当時17歳だった呉氏は、飛来した米戦闘機との壮絶な空中戦を目撃した1人であった。

 一機の零戦が被弾して発火。煙の尾を引きながら落下。しかし、その途中で、体勢を精一杯に立て直して村への直撃を回避。田園に墜落したのであった。その一部始終を目の当たりにした呉氏は、墜落現場へと夢中で走った。

 遺体の飛行靴には「杉浦」と記されていた。後に、杉浦茂峰兵曹長(当時)と判明。絶体絶命の死の寸前にありながら、咄嗟(とっさ)の機転から、村落への墜落を避け、惨禍から救った。それが、17歳の少年にもはっきりと分かる状景であった。
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鎮安堂飛虎将軍廟

 呉氏は感謝し、杉浦氏と、氏名が判明しなかった他の日本飛行士2名とともに、後に、自家の畑に祠(ほこら)を建て、英霊を祀ったのであった。不思議なことに、その後、この地方には作物がよく稔り、数々の幸運に恵まれることとなった。日本の英霊が守っていてくれている、きっとそのお蔭に違いない。聞きつけて礼拝する人が増えた。

 その後、町の有力者が集まり、身を挺して惨禍から海尾を救った日本飛行士の為に、永久にその恩徳を顕彰する、と衆議一致で決議した。そして、その祠は、昭和46年(1971年)に廟へと建設され、立派な建物になった。廟は海尾の町の守り神として人々から尊敬され、礼拝者は遠来も含め、毎日絶えることがないという。

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「鎮安堂飛虎将軍廟パンフレット民國90年(2000年)版」
日華親善友好慰霊訪問の旅ホームページより)


 この廟の正面には「鎮安堂飛虎将軍廟」と記された額が揚げられている。「鎮安」とは鎮邪安民の意で、台湾を守るために戦った日本兵士の心。「飛虎」とは空を飛ぶ意味で戦闘機を指す。「将軍」は兵士の尊称。今も人々から尊敬される英霊を意味する。

 この英霊を讃える祭壇の両脇には、日本と中華民国の国旗が立てられ、朝は日本の国歌「君が代」。夕刻は「海ゆかば」が粛々と奉歌されるという。

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李登輝氏の帰日を歓迎する

 李登輝前総統(84)は、5月10日、台北市内で日本人記者団に対して会見。李氏は、30日に成田に到着。6月1日は、都内で開かれる「後藤新平賞」の第1回授賞式に出席する意向を語った。栄えある最初の受賞者となる。また、李氏の帰日の日程は、5月30日から6月9日までの11日間となる見通しであることを李氏の関係者が語った。

 その後、宮城、岩手、秋田など、松尾芭蕉がたどった「奥の細道」ゆかりの地を訪問する予定。現在、日程の最終調整が進められている、とのことだ。李登輝氏の訪日は大変に意義深い。筆者は、あえて今回は「帰日」と歓迎する。

 お帰りなさい。李登輝氏にとり、良き「帰日」の11日間であられることを願う。
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【筆者記】

 墜落寸前に、杉浦兵曹長(当時)がパラシュートで脱出したが、降下中に米戦闘機の機銃掃射を受けて死亡、との説もある。真偽は判別し難いが、機体を別方向へと立て直すのに懸命であった状況から拝すれば、すでに脱出する余裕は無かったものと、筆者は考える。

 死の直前に至っても、本能的なまでに機転を利かせ、人々の住む集落への墜落を回避した、同兵曹長の英断に涙を禁じ得ない。自らは死に瀕しても、身を尽くして他の人々の命を守る。特定国民には、到底理解し得ないであろう日本人の美徳である。小稿を英霊に捧ぐ。
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2007/05/04(金) 07:16:14 [台湾]

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李登輝氏の来日を歓迎!

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李前総統、月末に訪日計画=台湾中央通信
 【台北3日時事】台湾・中央通信は3日、関係筋の話として、李登輝前総統(84)が5月末から6月初めにかけて日本を訪問する計画だと伝えた。詳しい日程、訪問場所については明らかにしていない。 李氏は昨年9月に訪日を計画していたが、結核の療養を理由に延期を表明。次回の訪日は「治ってから決める」と述べていた。先月には心臓冠状動脈の血管狭窄(きょうさく)部分を拡張するカテーテル治療を受けている。時事通信 5月4日/ 写真は「ニューヨークの台湾出身者による歓迎晩餐会で語る李登輝前総統(アメリカ・ニューヨーク)」(時事通信)より
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李登輝氏の来日を歓迎する!

 李登輝氏は今年で84歳。台湾が日本の統治域にあった大正12年(1923年1月15日)に、台湾台北県に出生。李氏は、統治時代の台湾で青年期を送り、当時の日本の貢献を語る生き証人である。

 先端医療による治療を求められての来日。歓迎である。李登輝氏には、少しでもより長命であられることを祈る。また、李氏の存命中に、日本と台湾との間に、可能な限りの努力を尽され、友好国としての太い絆が再生されんことを願う。
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日本人よ、自信を持て!

 先稿で紹介したことがある。李氏は、日本の台湾統治について 「日本統治は台湾にとって大きな転換期。日本が残した教育と人材は、戦後の台湾工業化の基礎になった」(産経新聞 2005年8月5日)と。

 また、戦後の台湾についても、「日本人は蒋元総統の『以徳報怨(徳をもって怨みに報いる)』との言葉と戦後 賠償の放棄に感謝するが、(国民党政権が戦後)台湾で接収した日本時代の資産は工業インフラや不動産など、賠償以上の価値があった」(同紙)と言及している。

 「日本人よ、自信を持て!」。筆者が学生(院生)時代に面倒をみた研修生(台湾から来日)らの、「おじいさん」「おばあさん」の世代からいただいた言葉である。

 台湾のシニア世代には、皇室と日本人を敬愛する人が多数を占めている。統治時代とはいっても、日本の統治が、決して、特定国が難癖をつけるような“植民地支配”ではなかった証左であり、同国と日本とが、力を合わせて築いた遺産なのであることの証明である。読者はご存知のことと思うが、李登輝氏の著書を紹介する。

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「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは (単行本)

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李 登輝 著

単行本: 318ページ
出版社: 小学館 (2003/03)
ISBN-10: 4093873704
ISBN-13: 978-4093873703
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【目 次】

第1部 日本的教育と私
第1章 世界に目を開いてくれた先哲の教え
第2章 新渡戸稲造との出会い
第3章 新渡戸稲造、国際人への旅立ち
第2部『武士道』を読む
第1章 道徳体系としての武士道
第2章 武士道の淵源
第3章 義
第4章 勇・敢為堅忍の精神
第5章 仁・惻隠の心
第6章 礼
第7章 誠
第8章 名誉
第9章 忠義
第10章 武士の教育および訓練
第11章 克己 など
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書評紹介

(日経BP企画)「武士道」解題 ノーブレス・オブリージュとは

 台湾前総統で旧制の日本教育を受けた著者は「日本の良いところや、精神的価値観の重要性を人一倍よく知っている」と言う。新渡戸稲造が100年余り前に著した『武士道』を解説しながら、日本人が忘れかけている高い精神性を取り戻そうと訴える。

 新渡戸は「義」を重んじ、「忠」を尊び、「誠」をもって率先垂範するといった武士道が、民族固有の歴史や風俗、仏教や儒教、神道などと深く関わっていることを記した。著者は1000年もの長い間、日本に浸透し、世界に誇るべき精神的支柱だった武士道や「大和魂」を、戦後、日本が意識的に踏みつけてきたことを批判する。

 日本再生を期す今こそ、武士道の規範を徹底的に再検討し、実践に移すべきだと熱く説いている。(日経ビジネス 2003年5月5日 日経BP企画の書評より)
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【筆者記】

 たとえ指導した期間が数週間、数日間であった場合も、台湾の学生はその後の音信を手紙で知らせてくれる。来日するようなことがあれば一報をよこす、義に厚き人々である。

 それらの姿に、李登輝氏の高い人格が重なって瞼(まぶた)に映ることがある。李氏の益々のご健勝をお祈りする。短稿にて。
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【お詫び】

 まとめに予想外の時間がかかり、メルマガ特集号の配信報告が遅れていることをお詫びします。一両日中に報告します。
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2007/04/25(水) 06:59:00 [台湾]

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「日本人よ胸を張れ!」

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「日本人よ胸を張れ!」“老台北”蔡焜燦氏語る
 司馬遼太郎著「台湾紀行」に博識の“老台北”として登場する著名な台湾の実業家、蔡焜燦(さいこんさん)氏(80)が23日、東京・大手町の産経新聞東京本社を夫人の李明霞さん(81)とともに訪れ、「心のふるさとは京都だ」などと、1時間あまりにわたって日本への思いを語った。 戦前の台湾で教育を受けた日本語世代の一人で、自ら「愛日家」と称する蔡氏は、自信を失いかけた日本人に事あるごとに、「日本人よ胸を張れ!」と激励するなど、民間レベルで長年にわたって日台交流を実践してきた。産経新聞 4月24日/写真は「蔡焜燦氏」同記事より

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「日本の方々に、もっと自信を持ってもらいたい」

 夫妻で来日した蔡焜燦(さいこんさん)氏が産経新聞社(大手町)を訪問し、約1時間にわたって講演。日台交流を民間レベルで推し進めてきた信条をもとに、「日本人よ胸を張れ!」と語りかけた。講演に耳を傾けた同新聞の諸氏にとっては、感銘を受ける講演となったそうだ。

 同氏は、「日本の方々に、もっと自信を持ってもらいたいからだ」と、当時(昭和8年(1933年)に入学した台湾台中の『総合教育読本』を自費で復刻。

 同記事に云く、「これが植民地の学校だろうか。植民地、植民地といって(統治時代の問題など)でたらめなことをいう人がいるが、(副読本は)日本人が当時、こんなにも高い教育を台湾で行った事実の証明ではないか」と語った。

 当時は、日本国内では普及していなかった「校内有線放送設備や16ミリ映画の映写設備」が、すでに台湾台中では導入されていた。まさに、自らはさておき、「最も美味しいところ」を“おすそ分け”する日本人の美徳であった。

 日本が、当時の統治域にあったパラオや朝鮮半島に最新のインフラ、学校、医療設備等を建設した史実からも、その一端が伺えるのである。蔡焜燦氏がおられた台湾でも、後の台湾経済を支える主要産業となった「製糖」の技術と設備が、新渡戸稲造氏らの努力によって提供された事実もその1つと偲(しの)ぶことができる。

 「ふるさとは京都」と語る同氏は、『昭和20(1945)年、終戦後に京都府美山町(現南丹市)で2カ月ほど炭焼きをしていた。今も京都の黒瓦の建物や五重塔を見るだけで落ち着く。ふるさとに帰ってきたつもりだ』と。また、『「昨日(22日)に靖国神社の春季例大祭に初めて参加した。今年から4月29日は『昭和の日』になった。その日に私たちが日本にいることは、感慨深い』と語った。益々のご健勝をお祈りする。
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重要な親日国・台湾の存在

 大陸が、昭和24年(1949年)の中国共産党による「中華人民共和国」となって以来、中共が台湾の統治権を主張し、今日では「1つの中国」を標榜してはいるが、元々は別々の国家である。今日の台湾世論の大勢も、台湾が中共の主権に帰属するものではなく、台湾という独立国家であるという点を基本にしている。

 しかし、昭和47年(1972年)の日中国交回復にともなう、「日中共同声明」において、日本政府は、日華平和条約を終了し、日本国と中華民国との関係は、事実上の断交となった。すなわち、日中国交のために、「親日国・台湾」が日本の外交関係から見放される結果となったのである。

 統治時代を知る台湾のシニア世代は、日本に対する深い認識と理解、親睦の情を持っているが、その後の中共の影響もあり、「親日国・台湾」の姿が薄れ始めている現実がある。

 「中国」一辺倒の外交政策に囚われず、この台湾の存在を今一度認識し直し、本来の友好国として、可能な政治努力を尽くして行くべきだ。「中国」が1000基以上配備しているミサイルの照準の中に、この台湾と日本がある。この現実からも目を逸らすべきではない。
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【筆者記】

 朝の時間は矢のように過ぎてしまう。短稿にて失礼する。
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2006/12/25(月) 08:51:32 [台湾]

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祝・台湾新幹線開通!
「武士道」は時代を超えて


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台湾新幹線営業許可へ 元日にも開通
【台北24日遠矢浩司】台湾の行政院交通部(交通省)は24日、工事遅れなどで開業が3度延期されていた台湾高速鉄道(台湾新幹線)について「試運転の結果、必要な安全水準に達した」として営業運転許可を与えると発表した。 台湾メディアによると、交通部の営業許可は3日以内に出る見込みで、事業会社の台湾高速鉄路は1週間程度の試験営業を経た後、1月1日にも正式な営業運転を開始する。同社は今月7日に開通式典を実施する予定だったが、試運転中にトラブルが相次ぎ式典は中止。交通部が1カ月無事故での試運転を義務付けていた。 同鉄道は日本の新幹線システムを採用、台北‐高雄間345キロを最短90分で結ぶ。当初は台北郊外の板橋‐高雄間を1日19往復する。2006年12月25日付 西日本新聞朝刊  写真は台湾新幹線(NBSI)。
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台湾インフラの父・新渡戸稲造 

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新渡戸稲造(Wikipedia)

 1895年に日清戦争の敗北が決定的になった清朝は、戦争の早期講和を目指して同年4月17日に日本との間で下関条約を締結。同政府は、日本が求めた台湾地域(台湾島と澎湖諸島)の割譲を承認。台湾は日本の統治領となった。

 後藤新平が民政長官として就任。後藤は、台湾財政確立のために産業振興が必要と考え、郷里・岩手県の後輩である新渡戸稲造を招集。新渡戸が『武士道』を刊行した翌年であった。

 赴任後、新渡戸は、台湾の自然環境を綿密に調査研究。糖業の改良に目をつけた。ハワイからさとうきびを導入して品種改良を重ねた。併せて、搾糖機械の技術改良を進め、台湾における製糖業の近代化を推し進めたのである。

 これによって零細業種であった「糖」は、地域に根ざした産業として発展。次第に近代的な製糖産業へと脱皮し、台湾製糖株式会社をはじめ大規模な製糖会社が次々と設立された。製糖の確立で経済基盤も安定。この新渡戸の貢献が、日本統治時代を通じ、台湾の交通、産業、教育等のインフラ整備が進む下地となった。
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名著「武士道」

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「武士道」

新渡戸 稲造 (著), 矢内原 忠雄 (翻訳) 
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書籍の概要

 「武士道はその表徴たる桜花と同じく,日本の土地に固有の花である」.こう述べる新渡戸(一八六二―一九三三)は,武士道の淵源・特質,民衆への感化を考察し,武士道がいかにして日本の精神的土壌に開花結実したかを説き明かす.「太平洋の懸橋」たらんと志した人にふさわしく,その論議は常に世界的コンテクストの中で展開される。(紹介より)
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名著を手にして

 英文『武士道』(BUSHIDO: The Soul of Japan(初版)が刊行されたのは1990年(明治33年)。原版は完璧な英語で記されている。

 日本統治下の台湾は、新渡戸の「製糖」経済を土台にして、工業化の時代を迎えることになった。紆余曲折や「日本統治」に対するさまざまな解釈があるが、戦後の台湾の経済成長には、50年に渡る台湾時代の基礎が確かに存在していたのである。

 戦後間もなく、台湾の経済が貧窮に面した時代も、製糖産業が、最大の外貨獲得の手段として経済を支えた事実も、新渡戸稲造の功績によると指摘してよい。

 産経新聞(2005年8月5日)に、産経新聞と会見した李登輝氏(前台湾総統)は次のように語っている。「日本統治は台湾にとって大きな転換期。日本が残した教育と人材は、戦後の台湾工業化の基礎になった」。

 また、戦後の台湾について、「日本人は蒋元総統の『以徳報怨(徳をもって怨みに報いる)』との言葉と戦後 賠償の放棄に感謝するが、(国民党政権が戦後)台湾で接収した日本時代の資産は、工業インフラや不動産など、賠償以上の価値があった」と述べている。
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【筆者記】

 台湾の新幹線開通のニュースに、思い出す先人の名前は、新渡戸稲造である。台湾の特にシニア世代では、新渡戸稲造を恩人、インフラの父と讃える人は多い。新渡戸が身をもって示した誠実で剛直な武士道の精神は、今も台湾の人々の心に脈々と生き続けているのである。
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