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2013/05/11(土) 09:20:00 [国思う「質疑応答」]

 


「博士」は「はかせ」と読むのか?

 【質問】 博士の独り言の「博士」は「かはせ」と読むのか、「はくし」と読むのか?
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 【質問】 「博士の独り言」というタイトルが高慢だ。おかしいと思わないのか?

(以上、これまでにいただいたご質問の中より)
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博士について

 口語体と文語体の違いかと思います。鮭を「しゃけ」と書くのか、「さけ」と書くのかというご質問と同じようなものと思います。文面には口語体で「しゃけ」と書かないように、博士を「はかせ」とはしないのが通常ではないでしょうか。
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高慢とのご質問へ

 では、たとえば、気象予報士や公認会計士、保育士の方が、「気象予報士の日記」とか、「公認会計士のブログ」とか、「保育士の独り言」としたら高慢になるのでしょうか? どうでも良いのですが、最近、何だか変なご質問が多いのが気がかりです。

(以上、島津義広より)
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日本は毅然とあれ!  

20130511001  
路傍にて(筆者)
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2013/05/09(木) 09:05:00 [国思う「質疑応答」]

隠れ「創価」のキーワード

 【質問】 地方での勉強会だったと記憶しています。以前、博士が質問に答えられ、カルトの隠れ信者の検出方法に触れておられました。その中で、隠れ創価の検出に役立つキーワードが「ルネッサンス」、人をかたちどった「i」。「大陸は親で半島は兄」などが有りました。ブログの方にも一度書かれていたと思います。

 その何かしらをいつも使ったり、身に着けていたクラスメートに、「あなたは創価学会員ですか?」と訊いたらまさにズバリでした。この三つだけでも実際の検出に役立つのではないかと思います。

(以上、いただいたご質問(8日)より)
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「後でカミングアウトした」前例でも

 ご質問をいただき感謝します。キーワード(キーシンボルを含む)ですが、いずれのその後の将来にカミングアウトした人たちが共通している用いていた。その点でトレースしたものです。フジサンケイグループの澤雄二氏がカミングアウトして公明党の議員になった。その澤氏にも以前から「ルネッサンス」とか「大陸(支那)が親で」云々としておられた事例が有ることが、後の調査で判りました。
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「池田センセイ」が言えば、隠れ信者も呼応する

 隠れ「創価信者」の場合も、「元」はすべて「池田センセイ」から出ています。たとえば、「池田センセイ」が「ルネッサンス」を盛んに用い出せば、隠れ信者たちも呼応するわけですね。「半島は兄」と云えば、同じように「半島は兄」と云いますし、オウム返しそのもので、隠せざるカルト信者の病理がここに一つ指摘できます。

 そもそも敷島の文化とはまったく異質の、他国の「ルネッサンス」を直に習う必要が有るのか、どうか。その点一つを考えただけでもおかしな話です。日本を恢復する。そのために、敷島には誇れる事例は幾らでも有るはずなのに、わざわざ「ルネッサンス」とはこれ如何にで、日本には関係ないでしょうという話です。

 そういう人たちが、たとえアリバイ的な偽装を一部に凝らしても無駄で、直ぐに「観る人」には見える地金を露呈する。その視点で調査し、相応の「隠れ」さんの存在を検出しています。教団別のキーワードは他にも数多と有りますが、また後稿の機会に。

平成5年5月9日
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日本は毅然とあれ!  

20130509001  
路傍にて(筆者)
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2013/05/08(水) 07:25:30 [国思う「質疑応答」]


カルトの真実を広めよう

 【メッセージ】 いいメッセージですね。世間に知って頂きたい素晴らしいメッセージです。多くの方々に読んで頂きたいものです。

>今に現証が出るぞ。
>若い連中だって黙っていない。

 創価は「脅しの団体」と旗を掲げてるのと同じです。 元公明党委員長の矢野氏宅に公明党議員たちが押しかけ、こういった言葉で脅して過去をメモした手帳をよこせ!と奪い取ったのでしたね。 そして、家・屋敷を売り払い池田先生に寄付しろ!と強要したのでしたね。

 「黒い手帖」にその詳細が載っていましたね。最終的には裁判で矢野氏が勝ちましたが、創価学会は一切公表しません。創価学会は異常なまでに裁判を起こす団体ですが、殆どの裁判で負けていますから公表できませんよね。

 管理人さんが仰るように、メッセージの冒頭から最後まで狂った表示の連続で、突っ込みどころ満載です。異常なカルトのエキスがたっぷりです。テレビを指差して、「これが洗濯機だ!」と叫ぶ人のほうがまだ可愛いくらいに感じます。人は洗脳され、さらにマインドコントロールされると、ここまで狂うのです。こんな団体が日本にいて、それを守る権力があって、日本は今後大丈夫なのでしょうか?

 こんな団体に「宗教法人」を認可してもいいのでしょうか?

 今後、選挙もあるし・多くの人たちに知ってもらいたいものです。そういう意味で、創価学会や公明党の真実を伝えるには、とてもいいメッセージだと思います。

(以上、いただいたメッセージ(7日)より)
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▼ メッセージをいただいた対象稿

創価「「仏敵で長生きできた人間はいない」のか 2013/05/04 
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次代のために放置するに価わざる「カルト」

 貴重なメッセージをいただき感謝します。判りやすいメッセージの事例と考え、先稿で紹介させていただきました。

 国思う活動は職業ではないため結構消耗しますし、リスクもさまざまに伴います。カルト信者を脱退させるケースでは、殊に「個」に対する反撃や罵倒、脅しの類は数え切れないほど有り、一般で謂う「メリット」は何も有りません。しかし次代を思えば看過に価わざる病巣であり、放置するわけには行かない。その信条のもとに地道に国思う活動を重ねてまいりました。
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妙齢の「大人」たるべき人たちが

 カルトの由来の多くは朝鮮系であり、そのためか、その根幹をなすものは妄想や虚構の精神病理であり、集団洗脳によって「人」を空洞化させるものです。

 たとえば、池田センセイがいにしへの宗教者の生まれ変わりであり、そのセンセイが富士宮市上条の寺院境内の千年杉をながめて「おお、なつかしい」と言った。それを側近が会内に口コミなどで「ね・・やっぱり池田センセイは日蓮大聖人の生まれ変わりなのよ」と広める。それを聞いた会員は、熱心な人ほど「池田センセイは日蓮大聖人の再誕」であるかに信じ込むようなる。社会的に、妙齢の「大人」たるべき年齢層に在ってもです。

 実際に、同地の事情や史実を調べたところ、彼らが云う「日蓮大聖人」は現在の富士宮市上条、すなわち現在の日蓮正宗総本山の大石寺が在る地域には鎌倉を離れた晩年でさえ足を踏み入れておらず、山梨県南巨摩郡の身延山に在住であったことが判りました。つまり杉が千年経って大きくなった、枯れた云々のレベルではなく、そもそもがその「千年杉」など見ていないわけです。

 我々凡人が淡々と調べれば直ぐに判りそうなそうした一つでさえ、池田センセイが“こうおっしゃった”とあれば調べもせずに「信じる」わけですね。しかも「信じる」ほどに“強信者”と会内で讃えられるそうで、カルトの病理以外の何ものでもない。麻原ソンシはキリストやシバ神の生まれ変わりだと。空中浮遊できると。そう信じ込むオウム信者や、他、教祖は誰それの生まれ変わりだと信じ込むカルト教団の信者と病理の本質は同じです。

 いい大人が、次代の青少年層を一つでも導くべき「大人」が何たる無様か。率直にそう感慨を抱かざるを得ません。カルトと宗教との定義分けを明確にし、カルトに対する「カルト認定」と宗教法人格の抹消を国家の針路の上で行うべきです。調べてみれば、戦後、居残った朝鮮人らがさまざまな偽装のもとで暴力団、高利貸し、右翼、土地転がし業者、カルト宗教、賭博業などに枝分かれしました。暴対法以降は、さらに、暴力団の思想・政治団体への“転進”も盛んであるとの、元公安庁の菅沼氏の指摘は実に現実の的を射ているものと拝考します。

 それらがたとえカルト批判をしているとしても、純粋な国思う活動のそれとはまったく本質が異なります。闇社会や敵対教団から出る日当を得ながら、すなわち「職業」でやっているわけで、所詮、カルトらとの「朝鮮つながり」の根は同じであり、姿、形を巧みに変えた日本貶めの「乗り換えキャンペーン」でしかない。その現実もまた英邁に見抜き、「乗らない」必要が有ります。

(以上、島津 義広より)
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日本は毅然とあれ!  

20130508001  
路傍にて(筆者)
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2013/05/07(火) 08:57:00 [国思う政治/政治家]

元台湾少年工「派遣70周年記念式典」へ

 先稿で紹介させていただいた元台湾少年工「派遣70周年記念式典」(神奈川県座間市)へ行かせていただくことにしました。強制ではさらさらなく、志願され誇りを抱いて日本へ来られた元台湾少年工の方々のお話と、李登輝氏(台湾元総統)の講演に心より期待しています。

20130507001
いただいた整理券
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 少年工として、台湾より来られた方々は「留日」外国人として敬意を表し、国を枯らす寄生の「在日」とは明確に区別申し上げたく思います。必ず、日本の恢復への力添えになってくれるはずです。当時、速記をしつつ拝聴し、後稿の機会に皆様に報告させていただくことが出来ればと思います。

平成25年5月7日
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▼ 主な関連稿

元台湾少年工「派遣70周年記念式典」 2013/04/28
追悼式典「台湾代表を正式迎え入れ」考 2013/03/06 
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日本は毅然とあれ!  

20130507002  
路傍にて(筆者)
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2013/05/03(金) 18:55:00 [国思う「質疑応答」]

「旅に出よ」の意味は?

 【読者】 以前のメルマガで、島津博士が御尊父から「汝は旅に出よ」と言われたということを書いておられました。博士の場合の「旅に出る」とはどのようなことですか、ご教示ください。

(以上、読者よりいただいたご質問より)
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十八歳の時から

 懐かしい言葉でもあります。幼い頃やんちゃであった。そのため、特に、三男の私に言われたものと記憶しています。意味の一つは「親離れ」であり、身への自立独歩の養い。もう一つは、可能な限り世界を観て学べ。汝の「人」としての素養、視野を大いに培えとの教示であったと自覚しています。

 遠地の学部に進学する時(十八歳)の時が「旅に出る」入り口であったと。そう思います。進む学校から自ら選んで受験し、下宿先も自身で決めました。その後も同じで、院への進学も自ら決めました。炊事、洗濯、掃除から生活のあれこれ全般にいたるまで自らの手で賄ったわけです。

 院時代の終わり頃、院の入試の試験管を務めたことが有りました。心情は理解できるのだけれども、試験に臨む22歳~24歳の受験生の中に、数名でしたが親御さんがついて来ておられた。ごく率直に、それらの姿が私には「奇異」に映ってならなかった。そうした思い出も有ります。

 就職の途を選びましたが、その時もコネや縁筋を一切頼らずに試験、面接を受けに行きました。決まってから「・・ということで」と親に手紙を書きました。そのような次第で、職責のため諸国へ赴任する際も、今で謂う特亜にだけは行きたくなかった。その意志を貫きました。無論、語学も独学で準備しましたし、赴任先でもすべて自活でした。
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身に迫る経験が視野拡大に役立つ

 運転する数キロ先に巨大竜巻が迫ったり、熱砂の砂漠でサソリ(幸い無毒の種類でした)に刺されたり、紛争に接した地域で人が銃弾に倒れる姿を目の当たりにしたり、などなど。「さて、どげんすっか」と思った瞬間も数え切れないほど有りました。その分、危うきに接しても冷静でいられる視野を身に培えました。それらが今も思惟と行動の糧になっています。

 蛇足ながら、それも一つの生き方でしょうから決して批判するつもりは有りませんが、しかし、世には、たとえば、齢にして三十、四十過を過ぎても親御さんに飯を作ってもらい、洗濯をしてもらい。自負し得るものは己の持ち物という。さて、肝心な「人としての中身」はいずこに、と問いたくなるような人を時々見かけますが、大人になる以前に培っておくべき人の自立機能を自ら放棄してしまっておられるかに映り、その意味で気の毒に思います。
 
 至宝をいただく敷島の臣民たり得よう、国を護ろうと志す人があれば、楽な途よりは、進んで身を切磋する途を常に選ぶ。孤独ごく当然あり、しかし、良い事はその「一人」から始まる。その気概が有って良いのではないかと思います。

(以上、島津義広より)
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日本は毅然とあれ!  

20130503002  
敷島の桜花 (本年)
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